ボクシングの村田諒太が会見
ボクシングの2012年ロンドン五輪ミドル級金メダリストで元WBA世界同級スーパー王者・村田諒太(帝拳)が28日、都内の会見で現役引退を正式発表した。昨年4月に敗れたゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)との王座統一戦が現役最後の試合に。五輪金メダルからプロで世界王者になる日本人唯一の偉業を成し遂げた37歳が、23年のボクサー人生に別れを告げた。プロ戦績は19戦16勝(13KO)3敗。
村田が現役最後の会見に臨んだ。テレビカメラ13台、スポンサー関係者も駆け付けた会場。五輪金メダルの瞬間やプロデビューから現在までの軌跡を振り返るハイライト映像が流れた後、凛々しいスーツ姿で登壇した。背後には全試合の写真を並べたパネル。花束に囲まれながら心境を告白した。
「皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございます。引退会見、大袈裟にしてくれるなと言ったけど、なかなか大袈裟になったなと。ちょっと何て言ったらいいか言葉を失ってしまう。本日をもって、プロボクサー村田諒太は引退いたします。ボクサーとしての生活は終わりになります。
まず所属させてもらった帝拳ジム、本田会長、長野マネージャー、いつもくだらない話をさせてもらったスタッフの方々に心より感謝を申し上げたい。中学生の時にテレビを見て帝拳の文字のカッコよさに憧れて、ここでやりたいなと思っていたところで本当にやらせてもらって誇りに思います。帝拳というものを背負ってできたのがもう半分夢はかなっていたのかなと。感謝をいたします」
さらにスポンサー、放送局、家族に順番に感謝を語り、「もう僕のプロ人生は皆様のサポートがないとできなかった」と、少しだけ声を震わせながら告白。会見中は最後まで涙を見せることはなかったが、後輩や恩師たちからのビデオメッセージの後には感慨深そうな表情を見せるなど、時折感情を堪える場面があった。
引退理由についてはこう説明した。
「もともとゴロフキン戦が最後だと思っていたので、引退以外の選択肢はなかった。やはり心が迷うところあったし、もっとこうすれば、ああすればよかったという反省する部分があったので、なかなか決断には時間がかかりましたが、これ以上自分がボクシングに求めること、ボクシング界にできることがあまり見つからなかった。
もっと欲を出せば今まで以上に稼げただろうなと思うんですけど、それ以上のものが自分の中で見つけられなかった。それ以上の求めるものがなくなってしまった。欲を求めてしまうようになってしまうんじゃないか、執着みたいものが芽生え出しているという自分に気づいたのが最大の引退理由だと思います」
村田は14歳だった中学3年からアマチュアでボクシングを始め、南京都高(現・京都廣学館高)で高校5冠を達成。東洋大を経て、2011年世界選手権で銀メダルを獲得すると、12年ロンドン五輪で日本人48年ぶり2人目の金メダルに輝いた。13年8月にプロデビューし、17年10月に世界王座奪取。五輪金メダルからプロで世界王座に就くのは日本人初の偉業だった。
世界的に層の厚いミドル級。体格に恵まれないアジア人には縁のない領域だったが、初防衛に成功したのも日本人初だった。2度目の防衛戦となった18年10月にロブ・ブラント(米国)に敗れて王座陥落。しかし、19年7月の再戦では魂の豪打でファンを沸かせ、王座奪還劇は感動を呼んだ。
同年12月に再び初防衛。以降はコロナ禍で試合ができず、ゴロフキン戦が2年4か月ぶりのリングだった。ゴロフキン戦は年間最高試合賞(世界戦)を受賞。9回2分11秒TKOで敗れたものの、興行規模が20億円を超える日本ボクシング史上最大のビッグマッチと言われ、世界的レジェンドとの死闘はファンを熱狂させた。
今後については「自分が得たものをどうやって皆様に還元するか。知識や経験。これから先の未来を待っている子どもたち、日本全体、社会にどんなものをつくれるのか。それが僕に課せられた仕事。よい社会をつくるためにできること。鍛えること、体を動かすことは特に生きる。そういうものを生かしたい」と説明した。
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華麗な経歴も、唯一、ゴロフキンを超えられなかったことが残念です。
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