現役時代に後悔は、と聞かれ、「何も思い残すことはない」。
1981年10月31日、都内のロッテ本社で行われた引退発表の席で、ロッテの張本勲は、きっぱり言い切った。
いまのファンは「喝」ばかり出している毒舌の人と思っているかもしれないが、その実績は巨人・王貞治、長嶋茂雄のONにも匹敵する。日本球界最多通算3085安打を誇る安打製造機にして、かつては東映フライヤーズ(現・日本ハム)の暴れん坊たちを束ねたコワモテの男で、グラウンド内外での武勇伝も数多い。
会見での淡々とした口調は、強気の男だけに弱みを見せたくなかったのかと思ったが、そうではなかったのかもしれない。
「もう、あのベースの前に立たなくてもいいと思うと、ホッとした気持ちのほうが強いです」
その言葉に反骨の男、張本が歩んできた道の険しさがうかがわれた。在日韓国人として生まれ、その素性をいっさい隠すことなく、堂々と胸を張り続けた。
会見の言葉を補足する言葉が、のちの著書『最強打撃力』(小社刊)にある。一部を抜粋しよう。
「さまざまな喜びをかき集めても、23年間の現役生活の15パーセントほどしかない。残り85パーセントは苦しみの日々だった。だから、現役生活をやめたときは、ホッとした。もう、バットを振らなくていい。もう、四角いバッターボックスに立たなくていい。もう、二度と野球選手にはなりたくない」
最後の言葉、「もう二度と野球選手になりたくない」は壮絶だ。
59年、浪商高から東映に入団。少年時代のやけどで右手にハンデがあったが、猛練習で瞬く間に頭角を現し、首位打者をトータル7回獲得した。ただ、当時の東映は不人気で、さらには60年代後半から暗黒時代となる。次第に個人の成績のみを追い求めるようになったという。
76年には、ずっとあこがれていた巨人に移籍し、長嶋茂雄監督の下で、盟友・王とともにリーグ連覇に貢献する。しかし力が落ちると、追い出されるように80年ロッテに移籍。同年通算3000安打を豪快なホームランで飾り、翌81年限りで引退を選んだ。
会見で張本はこうも言っている。
「よくやったと自分自身に言いたい」
人生の節目で、そう言い切れる数少ない男でもあった。
週刊ベースボール
国籍の違いで苦労も多かったのだろう。
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