◇パリ五輪第2日 柔道(2024年7月27日 シャンドマルス・アリーナ)
柔道男子60キロ級に永山竜樹(ながやま・りゅうじゅ、28=SBC湘南美容クリニック)が3位決定戦でサリフ・ユルドゥズ(23=トルコ)に勝利し、意地の銅メダルを獲得した。
涙も笑顔もなかったが、コーチの声掛けに何度も頷いた。3位決定戦の舞台でも気迫をみなぎらせ、中盤には豪快な投げで技ありを奪うと、終盤にもう一度技ありを奪い合わせ技一本で銅メダルをつかみ取った。
試合後には、時に言葉を詰まらせながらも涙は見せず「負けてから切り替えるのが大変だったんですけど、せっかく親とか、たくさんの方々が応援に来てくれていたので、手ぶらで帰るわけにはいかないと思って、銅メダルを獲りに行きました」と、ここまで応援してくれたコーチやファン、そしてライバルたちへの感謝の思いを胸に戦い切った。
準々決勝。まさかの展開で23年世界王者のフランシスコ・ガリゴス(スペイン)に一本負けを喫した。寝技に持ち込まれ、「待て」が掛かったものの、絞め落とされたと判断され、一本が宣告されたもの。この判定に本人は納得できず、約5分間も畳の上で滞留。古根川実コーチが審判団に抗議も、判定は覆らず、最後は諦めるように試合会場を去った。準々決勝までのセッション終了後には、金野潤強化委員長、鈴木桂治監督、古根川コーチが改めて審判団の元へ赴き、判定の経緯を問いただした。通常、「待て」が掛かった後に技の判定が下されることはなく、不可解なジャッジに納得できず。鈴木監督は「これが国際柔道連盟の柔道精神ですか」「待ての後も締め続けるのを許可したんですか」と抗議する場面もあった。
気持ちを切り替えるしかなかった。敗者復活戦では鬼気迫る柔道で世界ランキング1位の楊勇緯(26=台湾)を技ありで撃破。3位決定戦でも気力を振り絞って意地を見せた。
1年2カ月前、ほぼ諦めていたパリ五輪出場へ再び不退転の決意を固めた場所が、会場のシャンドマルス・アリーナの前だった。東海大で3学年上の先輩にあたる東京五輪王者・高藤直寿との代表争いは、22年下半期から23年上半期にかけて負けが込み、同年の世界選手権出場を逃した時点で万事休す。柔道を続けるのか。失意の永山に海外武者修行を促してくれたのが、幼少期から誰よりも熱心に後押ししてくれた父・修さんだった。
東京五輪代表を逃し、さ細なことから冷え込んでいた父子関係。長男・栄樹ちゃんの誕生でやっと雪解けを迎えると、23年4月の選抜体重別選手権で敗れた直後、「海外に1人で行ってきたらどうか」と提案された。妻・しおりさんも1カ月、家を空けることを快諾。行き先を欧州一の柔道大国フランスに定め、地元クラブなどを転々としながら稽古を積んだ。
迎えた5月7日。世界選手権で高藤がメダルを逃した。敵失とは言え、閉ざされる寸前だったパリへの道がつながった。観光名所を回るいつものランニングコースを少し逸れ、向かった先はシャン・ド・マルス・アリーナ。来年の夏、必ずここに戻ってくる――。そう決意を固めると、国際大会2連勝で迎えた12月のグランドスラム東京大会決勝、直接対決で高藤を破り優勝。翌日、悲願の五輪代表に内定した。
「先輩がいたからこそ、ここまで強くなれた。なかなか超えられない壁で苦しい時期も長かったが、今の自分になれたのは高藤先輩という存在がいたから」。選手としての土台を築いてくれた地元道場、そして修さんにも感謝の思いしかない。少し遠回りしたが、約束の場所に帰還し、小さな体をいっぱいに使って、永山竜樹の柔道を表現。悪夢の不可解判定をはね返し、思い描いた色ではなかったがメダルを手にした。
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誤審で敗れるも、敗者復活で銅メダルは素晴らしい。判定競技ゆえの不可解判定はいつもスッキリしない。
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