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2017年7月14日金曜日

強大化した中国、劉氏を恐れた理由 死去の報道も制限

 獄中でノーベル平和賞を受賞し、中国の民主化運動の象徴的存在だった人権活動家の劉暁波(リウシアオポー)氏(61)が13日、亡くなった。民主化の夢は一党支配を死守しようとする当局の壁に阻まれ、末期がんに侵されても出国もかなわなかった。だが、その死は強大になった共産党政権に大きな問いかけを残した。

 「民主化を目指す我々の精神的な支柱だった。とても悲しくて、怒りでいっぱいだ」。劉氏が投獄される原因になった「08憲章」に最初に署名した1人で杭州の学者、温克堅さん(46)は言った。病院に見舞いに行ったが、病室すら教えてもらえなかったという。

 北京の著名人権活動家、胡佳氏(43)も「出所したら、一緒に中国の変革を目指して闘いたかった」と無念さを口にした。ただ、政府が出国を認めなかったことへの怒りは大きい。「せめて最後は自由のある土地で死なせてあげたかった。人道的な配慮すら認めない、体制のひどさを多くの人が知ったのではないか」

 入院先の遼寧省瀋陽市の中国医科大学付属第一病院では13日午後5時半ごろ、劉氏の病室があるとされる病棟に霊柩(れいきゅう)車が到着。多くの私服警官らが警戒するものものしい雰囲気のなか、午後6時半ごろ、劉氏を乗せたとみられる霊柩(れいきゅう)車が護衛とみられる4台の車に前後を固められて走り去った。

 その後、近くのホテルに当局が設けたメディアセンターには多くの報道陣が集まった。担当者から「記者会見を開く」という説明があったが、夜になってもなかなか開かれなかった。

病院側は13日深夜に会見し、「肝臓がんは早期発見が難しい。外国の専門医も我々の治療を高く評価した」と述べた。主治医によると、妻の劉霞(リウシア)氏や劉氏の兄弟も付き添っていたという。

 中国メディアは13日夜の段階で劉氏死去のニュースを国内向けには流さず、海外メディアの放送も制限。英BBCは約10分間画面が暗くなった。
(朝日新聞デジタル)

 いつか英雄となる日が来るだろうか。

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