ページビューの合計

2015年4月2日木曜日

つけ麺の父「大勝軒」山岸一雄さん死す…のれん分け100店以上

 「つけ麺の元祖」として知られるラーメン店「大勝軒」を創業した山岸一雄(やまぎし・かずお)さんが1日、心不全のため東京都内の病院で死去した。80歳。長野県出身。葬儀・告別式の日取りは未定。喪主は妹斉藤節子(さいとう・せつこ)さん。

 山岸さんは16歳で上京し旋盤工として働いていたが、翌年から兄のように慕っていたいとこに誘われてラーメン店で修業を始めた。1951年に東京都中野区にラーメン店をオープン。結婚を機に独立し、61年6月に「東池袋大勝軒」を開業した。

 看板メニュー「特製もりそば」は、修業先のまかないから生まれた。調理して余った麺を1本、2本と丼に集めて、湯飲みにつゆやタレを入れてつけてざるそばのように食べていた。独立後もまかないとして食べていたところ、常連客が「食べさせてほしい」と要望。大好評でメニュー化した。

 「特製もりそば」はつるりとした食感とコシの強い麺に、甘酢っぱいスープが特徴。修業中に朝から晩まで製麺した経験が、自家製麺の礎となった。当初から行列店として人気となり、石原裕次郎さんやフランク永井さん、丹波哲郎さんらスターも常連だった。子供がいなかった山岸さんは、弟子を次々と受け入れ100人以上を育てた。のれん分けした店は北海道から沖縄、米ハワイまで100店舗以上となっている。

 55年に及ぶ立ち仕事と湯切りで手や足腰が弱り、引退を決意。07年に東池袋の「大勝軒」が一時閉店した際には約400人が列をつくった。この模様がメディアで大きく報じられたことなどがきっかけでつけ麺ブームに火がついた。
(スポニチアネックス)

 ご冥福をお祈りします。
 故人がいなければ、つけ麺ブームはなかったでしょう。

 お弟子さんが大勢いて、今や全国に、暖簾分けのお店があります。

 お弟子さんの腕によるため、つけ麺の味はいろいろですが。

 ハワイのお店は、茨城県のお弟子さんがやっているのでしょうか。
 茨城県の大勝軒は、あまり美味しくない。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿