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2015年4月2日木曜日

北朝鮮で抑留死869人名簿…露の公文書館保管

【モスクワ=緒方賢一】第2次世界大戦後、旧ソ連が現在の北朝鮮に開いた「第53送還収容所」で死亡した日本人抑留者869人の名簿が、ロシアに残されていたことが分かった。

 名簿には死因のほか、遺体の埋葬日、埋葬場所などが記されている。ソ連政府が作成した北朝鮮抑留死亡者名簿が明らかになるのは初めて。朝鮮半島での抑留の実態や死者の最期を知る貴重な手がかりとなりそうだ。

 第53送還収容所は、ソ連が戦後、朝鮮半島北部の興南(現在の北朝鮮・咸興市興南地区)に設置、1947年4月にソ連領内のナホトカに移設された。死亡者名簿はソ連閣僚会議(政府)の送還業務全権代表部が作成し、ロシア連邦国立公文書館(モスクワ)が保管してきた。同公文書館はこのほど、46年11月20日から48年5月25日までの死亡者名簿や収容者の調書など167枚を、読売新聞に開示した。

 A4判の紙にタイプ打ちされた名簿には、死亡者の氏名、出身地、死亡日、死因、埋葬場所などがロシア語で記載されている。内訳は軍人・軍属766人、民間人103人。死因のうち最も多いのは栄養失調で330人。結核や発疹チフス、赤痢など伝染病による死者も半数近くに上った。満足な食事を与えられず衰弱し、疫病が広がった惨状が浮かび上がった。

 年代別では20歳代が約400人と最も多く、10人以上が20歳未満だった。性別の記述はないが、「アヤコ」「ヨウコ」など女性とみられる名前も30人分あった。

 ソ連は日本の降伏後、満州(現中国東北部)や朝鮮半島、南樺太にいた日本の軍人ら約57万5000人をシベリアなどに抑留。鉄道敷設や森林伐採などの強制労働に従事させたが、病気やけがで重労働に耐えられなくなった人は朝鮮半島北部に移送していた。
(読売新聞)

 なぜ、今頃、こんなニュースなのでしょうか。
 旧ソ連に抑留されて亡くなった日本人のお骨が北朝鮮に埋葬されていることを公表したということは、北朝鮮の外交カードと考えているのでしょうか。

 先の大戦での、旧ソ連の悪行がよくわかります。抑留し強制労働、北方領土の強奪。

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