ロッテの角中勝也外野手(28)が2日、阪神戦で1点を追う9回2死満塁から劇的な3号逆転グランドスラムを放った。2死無走者から粘っての起死回生弾。あと1死で敗戦からの満塁本塁打は、球団では90年5月4日のダイエー(現ソフトバンク)戦で愛甲猛が記録して以来、25年ぶりの一発となった。チームは劇的勝利で、4月18日以来の貯金1とした。
粘って粘ってフルカウントからの9球目。虎の守護神・呉昇桓(オ・スンファン)が投じた高めに浮いたカットボール。見逃せばボールだっただけに、角中に「やべぇ、振っちまった」と一瞬、後悔の念がよぎった。しかし、加速度を増した打球は甲子園の右翼席へ飛び込む。自身2年ぶりのグランドスラムは価値ある逆転弾となった。
「まさかですね。自分はヒーローというタイプではないので。外角の見極めはできていたので、インコースに来たら全部振るつもりでした」
そう照れたが、未来予想図は描かれていた。8回の守備に就いている時に、9回2死満塁で自分に打席が回ってくる場面が自然と浮かんできたという。そして現実も、2―3の9回2死無走者から連続安打と四球で回ってきた。「本当に来るとは…。8回に頭に浮かんだ時は右中間安打だったけど、それ以上の結果。手応えは“芯詰まり”って感じかな」と充実感に浸った。
4月下旬にインフルエンザB型に感染するアクシデントはあったが、開幕から好調を持続する3番打者。この日は初回に先制適時打も放ち、デスパイネ、荻野と主力外野手が相次いで故障離脱する中で、その存在はチームに欠かせない。
12年に独立リーグ出身者初の首位打者に輝いた。高卒後に四国アイランドリーグplusの高知のトライアウトを受験。実戦形式の試合では3打数無安打だったが、最後の1人として獲得された。当時、高知にはナイター設備がなく、全てデーゲーム。自宅に帰って、9時すぎから近隣の公園で素振りをするなど野球漬けの日々は生涯の思い出で「野球だけでなく、人として成長させてもらった場所」と振り返る。
そして、その高知にレンジャーズを5月に自由契約となった藤川球児の入団が決まった。くしくも、満塁弾で打ち砕いた呉昇桓の前に、阪神で背番号22をつけていたのが藤川。故郷・高知から野球人生の再スタートを切る大リーガーの決断に、角中は「また盛り上がってほしいですね。そして(NPBに入団するような)若い子がたくさん出てきてくれれば」と期待を込めた。
チームは交流戦に入って5勝2敗で堂々の単独首位。4月18日以来の貯金1とした伊東監督は「野球のだいご味をあらためて知りました」と最敬礼。それでも、角中は帰りのバスに乗り込む時には「またあしたから脇役に徹します」といつもの顔に戻っていた。
▽90年ロッテ・愛甲の逆転満塁弾 博多どんたく開催中の5月4日、敵地平和台でのダイエー戦は0―4の5回、3番・愛甲が反撃の3号2ラン。そのまま2点を追う9回、2死満塁から西村の押し出し四球で1点差。続く愛甲が代わったばかりの左腕・永射の初球を叩き、右翼席へ4号逆転満塁弾を放った。就任1年目の金田正一監督も、派手なガッツポーズで大喜び。4安打6打点の愛甲は「ロッテは最後まで試合を諦めない」と胸を張った。
≪交流戦打点トップ≫角中(ロ)が9回2死から逆転満塁本塁打。自身満塁弾は13年4月8日楽天戦で放ったのに次いで2本目だ。また、あと1人で敗戦からの起死回生の満塁弾は12年4月26日に米野(西)がソフトバンク戦で記録して以来3年ぶり。ロッテでは90年5月4日ダイエー戦で愛甲が3―4の9回2死からマークして以来25年ぶり4本目の劇的な一発となった。この日は初回の先制適時安打と合わせ5打点。交流戦の打点は12打点となり、中田(日)、中村(西)の10打点を抜いて一気にトップに立った。
(スポニチアネックス)
角中すばらしい。
独立リーグがなければ、プロ入りはなかったのだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿