幻影を追い求め、試行錯誤を繰り返していた斎藤は、もういない。明るい表情からは充実ぶりがうかがえた。復活のためならどんな努力もする。プロ7年目。言葉からは背水の覚悟がにじんだ。
「球団、ファンの方々に恩返しがしたい。そのためには結果が必要。去年は1勝もできていないけど、キャリアハイを目指す(自己最多は1年目、11年の6勝)。もう後がないと思ってやる」
昨年11月、同ジムを主宰するケビン山崎氏(65)とトレーナー契約。目標を「早実3年から早大1年までのフォームに戻すこと」に設定した。夏の甲子園で歴代2位の大会78奪三振を記録して優勝し、東京六大学リーグで春秋続けて優勝投手になったあの頃――。
腰が低く沈み、上半身が弓のようにしなるダイナミックなフォームで、当時は投げていた。大学2年以降は左股関節、右肩など故障が重なり、プロ入り後もごまかしながら投球を続けたことで、良さが失われた。山崎氏の分析で再確認した斎藤は一念発起。年末年始も時間が許す限り、古傷の股関節や肩甲骨の柔軟性を高め、体重移動をスムーズにするトレーニングを繰り返した。
効果も感じている。今月前半のグアム自主トレで1日80~100球を投げ込み、肩の仕上がりは上々。帰国後に千葉・鎌ケ谷の2軍施設で球速を測ると「145キロ」が出た。近年の直球の平均球速は130キロ台。15年6月16日の阪神戦(甲子園)でプロ最速タイの147キロを出したが、そのフォームを継続することができなかった。この日はマウンドと同じ傾斜を使いネットスローも実施。「指にかかっている感触があるし、(下半身が粘り)投球の“間”みたいなものも少し出てきた」と手応えを語る。
6年間で通算14勝。球団に背番号18の返上を申し出た。どんな番号も背負うつもりだったが、球団から「輝きを取り戻せ」とのメッセージを込めた早実時代の「1」を提示され、恩返しを誓う。キャンプは1軍のアリゾナでスタート。再生間近の「しなり投法」で必死にアピールする。
背番号1で駒大苫小牧の田中(現ヤンキース)と投げ合い、決勝引き分け再試合の末に頂点を極めたのは、もう11年前。斎藤の復活をファンは待っている。(山田 忠範)
(スポニチアネックス)
先発が無理なら、中継だろうけど、短いイニングを確実に抑えられるだろうか。
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