東大関・稀勢の里(30)=田子ノ浦=が悲願の初優勝を達成した。西前頭13枚目・逸ノ城(23)=湊=を寄り切って13勝目。1差の2敗で追う東横綱・白鵬(31)=宮城野=が結びの一番で敗れ優勝が決まった。2011年九州場所後の大関昇進から31場所目の初Vは歴代1位のスロー記録。二所ノ関審判部長(元大関・若嶋津)は横綱昇進を諮る臨時理事会招集の要請を示唆。1998年夏場所後の3代目若乃花以来、19年ぶりの日本出身横綱誕生が現実味を帯びてきた。
稀勢の里は、あふれ出る涙をこらえきれなかった。囲み取材を終え、支度部屋のテレビに背を向け帰り支度を始めた時だった。「横綱が負けました」。付け人の報告で初優勝を知った。こみ上げる感情を抑えこむように、深く、ゆっくり息を吐いた。「ありがとうございました。支えてくれた人には本当に感謝しかない」。多くを語らず席を立った時、右目からひとしずくの涙がこぼれた。
巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏(80)=報知新聞社客員=も観戦に訪れた大一番。逸ノ城を得意の左差しから、もろ差しで寄り切った。勝ち名乗りはいつも通り淡々と受けた。根底には11年九州場所前に亡くなった先代師匠の故・鳴戸親方(元横綱・隆の里)の教えがある。「勝っても負けても表情を変えるな。相撲の美しさは勝っても負けても正々堂々の潔さにある」。帰路に就く直前に知った初優勝の一報。人前で泣いたのは、先代師匠が亡くなったとき以来だった。
たたき上げで頂点を極めた。中卒での入門を選んだのは早くお金を稼ぎたかったから。当時、父・貞彦さん(71)は脱サラして独立したが事業に苦戦していた。中学の野球部ではエースで4番。茨城の名門・常総学院高から特待生の打診も来たが、断った。
両親は、本当はヘビー級のボクサーにしたかった。「今の10倍は稼げたんじゃないかな。でも育てるのにお金がかかるから無理だった」と貞彦さん。稀勢の里も「力士になるなら早い方がいい」と応じた。02年春場所の初土俵以来、休場は右足親指負傷による14年初場所千秋楽の1日だけ。強い心と強い体で戦い続けた。
明確な綱取り場所ではなかったが、二所ノ関審判部長はこの日、稀勢の里の昇進手続きを進めることを示唆。横綱が現実味を帯びてきたことで、先代師匠が「横綱は見える景色が違うんだ」と話していた言葉の意味が分かる。その景色とは、支度部屋の一番奥に座って見る光景。全力士を見下ろす反面、全力士から見られ、狙われる緊張感の中で強さを示し続けなければいけない。頂点を極めた者だけが見られる光景は、もうすぐそこにある。
優勝した際に行う部屋での鯛持ちは千秋楽終了後に持ち越した。「明日、最後をしっかり締めて。集中してやるだけです」。宿敵・白鵬を倒して説得力のある優勝で締めくくりたい。優勝と横綱昇進の味をかみ締めるのは、その後でいい。(秦 雄太郎)
(スポーツ報知)
白鵬に圧勝したい。
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