敵地マツダスタジアムを埋め尽くした広島ファンの、奇跡の逆転を願う大声援が飛ぶ中でも、167cmの小さなリリーフエースに動揺はなかった。2人目の西川龍馬にライト前ヒットこそ許したが、続く田中広輔をファーストゴロ、菊池涼介をセカンドフライに打ち取り、駆け寄ってくる味方選手の中心で歓喜を味わった。
昨シーズンはレギュラーシーズンでもチーム最多タイの58試合に登板し、3勝2敗28ホールド3セーブと、最大11.5ゲーム差を跳ね返しての大逆転優勝に貢献。その活躍が評価され、オフの契約更改では2800万円増の年俸1億円でサインした。入団8年目での「大台」到達を、谷元はこう語る。
「それだけの評価をいただけたことは素直に嬉しかったですね。プロに入るまでは、正直ここまでこれるとは思っていませんでしたから」
三重県の稲生高校時代に内野手から投手に転向し、卒業後は中部大学に進学。伸びのあるストレートを武器に勝利を積み重ね、愛知大学リーグのベストナインにも選ばれるなど実績を残したものの、「身長が低い」という理由で4年時のドラフトにかかることはなかった。
同じ理由で、社会人野球の強豪チームからも声はかからず、新潟にある薬品卸売会社のバイタルネットに入社した。入社後しばらくは、野球のみに集中することができない環境に苦しんだという。
「野球部といえども、勤務時間は他の社員と変わりませんでした。お昼から練習できるのは週に1度だけ。その練習にあてられた時間の分を、残りの4日間でカバーするために7時半から17時まで仕事をしていました。給料も練習費用に消えましたし、心が折れそうになったこともありましたね」
しかし、そこを耐えて努力を続けたことが徐々に結果となって表れはじめる。シーズン1年目の秋からエースとして活躍し、140km台前半だった球速が147kmを計測するまでにアップした。そして、入社2年目の2008年、日本ハムの入団テストに合格した後、ドラフト7位で同球団に指名された。
日本ハムが獲得に踏み切った背景には、武田久という偉大なる前例がいたことが大きかっただろう。170 cmの低身長を活かした、低い重心から投げるストレートと多彩な変化球を駆使し、長年チームのセットアッパー、クローザーを務めてきた。
「武田さんのフォームなどを真似するということはありませんでしたが、ずっと心の支えになっていました。プロ入りを諦めなかったのも、武田さんの存在が大きかったです」
その武田とチームメイトになり、数年は先発とリリーフの併用が続いていたが、2014年からはリリーフに定着。そこから3年連続で50試合以上に登板している。栗山監督からも「ランナーを置いた場面で出す投手は、絶対に谷元。だって、度胸がある」と絶大な信頼を寄せられている。
栗山監督がいう「度胸」が如何なく発揮されたのが、昨シーズンの9月21日に行なわれたソフトバンク戦だった。勝てば日本ハムがソフトバンクに代わって首位に立つという天王山の試合は、先発の大谷翔平が8回1失点と好投し、2-1とリードしたまま最終回を迎えた。
だが、この日は大谷の後を受けたアンソニー・バースが誤算だった。先頭の長谷川勇也に二塁打を打たれ、その後も死球と犠打で1死2、3塁と、あっという間に窮地に追い込まれる。この場面で、ケガで登録を抹消されていた守護神のマーティンの代わりに「火消し役」を任されたのが谷元だった。
一打サヨナラ負けのピンチに、さぞかし緊張していたのだろうと思いきや、谷元はその時の心境を「いや、いつもとあまり変わりませんでしたよ。僕が出したランナーじゃないですから」とサラっと振り返った。
気負いなくマウンドに上がった谷元は、9番の高谷裕亮を三振に仕留め、1番の江川智晃にはセンターへ大飛球を打たれたが、これを陽岱鋼がスーパーキャッチ。見事にピンチを切り抜けてみせた。
谷元は翌日の試合もクローザーとしてマウンドに立ち、2日連続でセーブを記録。重要な試合でクローザーとして結果を残したことにより、新シーズンのクローザー候補にも挙げられている。ケガの癒えたマーティンや、先発からクローザー復活に意欲を見せる増井浩俊などライバルは多いが、可能性は十分だ。
「特別、クローザーをやりたいという気持ちはないです。僕は回の途中から、ランナーがいる状態で登板することが多いので、回の頭からとなるとまた勝手が違うでしょうし。でも、勝った瞬間にマウンドにいられるのはクローザーの特権。もし任されることになったら、シーズンを通してその喜びを味わえるよう、さらに成長していきたいです」
谷元は今年で32歳。海外FA権の取得も近づいている。
「メジャーはまったく考えていません(笑)。でも、結果を残していく先に、もしかしたら見えてくるかもしれませんね。僕が武田さんから勇気をもらったように、今度は僕が、身長の低い若手選手やプロを目指している選手の支えになることができたらと思っています」
4年連続50試合登板、2年連続の日本一、そしてその先へ。プロ球界最小身長ピッチャーの挑戦は続く。
text by Sportiva photo by Murakami Syogo
苦労人だね。
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