神宮の杜(もり)に23年前に負けない声援が響いた。午後3時51分。新横綱・稀勢の里が太刀持ちの弟弟子・高安(26)、露払いの松鳳山(32)=二所ノ関=を従え悠々と登場。爪先までピンっと伸びた美しい四股。1万8000人の観衆から「ヨイショ~」の大合唱が起きた。左手を脇に右手を広げてせり上がり。「爪先から頭の先まで集中してやりました」。1分28秒と平均的な長さで見事な雲竜型を披露した。
“土俵の鬼”初代・若乃花から指導を受けた土俵入りを、一門の後輩へと受け継いだ芝田山親方(元横綱・大乃国)も「立派にこなしてくれた」と納得する完成度だった。初の大役を終えた新横綱は「一生懸命やりました。見てくれる人に感謝の気持ちを込めて」と安堵(あんど)。「日本一!」、「横綱ー!」。鳴りやまない声援を思い出し「たくさんの方に見ていただいて本当にうれしかった。もうそれだけ」と感無量だった。
“若貴”を彷彿(ほうふつ)とさせる熱狂ぶりに1998年5月の3代目・若乃花以来の入場規制が敷かれた。午前6時40分の開門時には徹夜組を含め20人が正門前に待機。土俵入りが行われた本殿の入り口となる第三鳥居まで、行列は600メートルに達した。同神宮は、安全上の理由から本殿に入れる人数を5500人に制限。土俵入りまで3時間以上も残した午後0時10分の時点で“満員御礼”となったが、神宮全体では1万8000人を記録した。
過去最多は土曜日開催だった94年11月の貴乃花の2万人。3代目・若乃花の際には神宮全体で1万5000人いたという資料もあり、“若貴”に匹敵する注目度だ。人気が証明されたことで、全国の後援会が連携し春場所(3月12日初日・エディオンアリーナ大阪)までには三つぞろえが用意される予定という。
初優勝した初場所を終えてから5日。「いろんな場所終わりを何度も味わってきたけど、こんなに濃いのは15年間で初めて」と新横綱。多忙な中にも充実感を感じる。節分の豆まきなど行事が続くが「相撲を通じて相撲に興味を持っていただくのも僕らの使命」。完全復活した相撲ブームを先頭に立ち引っ張って行く。(秦 雄太郎)
◆明治神宮奉納土俵入り 1918年6月に明治神宮外苑の地鎮祭を相撲協会が協力したことが発端。横綱推挙状授与式が、それまで推挙状を渡してきた熊本の吉田司家が相撲協会と絶縁。1951年6月に縁の深い明治神宮で行われることになり、第41代横綱・千代の山から新横綱が推挙状授与式と奉納土俵入りを行うことになった。「手数入り(でずいり)」とも言う。手数は技の意味で吉田家が横綱土俵入りをこう呼んだことに由来する。
(スポーツ報知)
相撲人気が若貴フィーバーの頃に近づいているようだ。
あとは稀勢の里が勝つ続けることと、新たな日本人横綱誕生だろう。
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