現役時代は空前の相撲ブームの真っただ中。196センチの長身を生かして出世した。相手の肩越しに上手を引くと、強引に振り回して投げを打ったり、意表を突く足技で逆転したり。貴ノ浪にしか取れない相撲だった。
常識外れの取り口を、無手勝流と批判された。それでも師匠の二子山親方(元大関貴ノ花)は「あれでいいんです」と認め、個性を伸ばした。「みんな個性が大事、と言っているのにおかしいですよ。貴ノ浪はいつでも努力しています」とかばった。周囲に対してはよく褒め、息子の若貴兄弟の話をする時より目尻を下げた。
貴ノ浪は2004年夏場所中に現役を引退。翌年1月、東京・両国国技館で行われた断髪式に、重い病気と闘っていた師匠が病床から訪れた。音羽山親方が、誰より「まげを切ってもらいたい人」だった。
稽古場では「浪岡」と本名で呼ばれ、熱血指導を受けた。とりわけ苦しいぶつかり稽古に耐えた。親方の厳しい指導のおかげで大関になれたことが骨身に染みていた。音羽山親方は、師匠が亡くなった後、「僕は貴ノ花ラブ、ですから」と口癖のように話した。
天国の二人は、大好きな相撲談議にまた花を咲かせるだろう。冗舌に技の説明をするまな弟子に、師匠が苦笑しながら。
(時事通信)
心臓に疾患があったようだ。
若すぎる死は悲しい。
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