創立100年の中国共産党は習近平総書記(国家主席)の指導下で、トウ小平が始めた改革・開放を継続しながらも、実利重視のトウ路線から徐々に遠ざかり、極左的傾向が強かった毛沢東時代への回帰志向が強まっている。
◇「長征を思い出そう」
習氏は今年2月以降、革命時代の「長征」で紅軍(共産党軍)が通った貴州省や広西チワン族自治区を視察した。貴州ではソ連派主導の党指導部が毛体制に移行するきっかけになった遵義会議(1935年)に触れ、「党中央の正確な指導を確立した」と強調。広西では「困難が大きくなったとき、紅軍の長征を思い出そう」と呼び掛けた。戦乱を勝ち抜いた毛に倣い、難局に対処できる強固な指導体制を築くという決意が読み取れる。
49年に中華人民共和国を樹立した毛は急速な社会主義化を追求。文化大革命(文革)などで党内・国内を大混乱に陥れたが、皇帝のような存在となって76年の死去まで権力を手放さなかった。人民公社や国有企業を中心とする非効率的な計画経済が堅持され、国民は耐乏生活を強いられた。
その反省から、文革後に最高実力者となったトウは指導者の個人崇拝や終身支配を禁じ、党主席制の廃止などで集団指導体制を整えた。また、経済統制を緩め、日米欧や香港などから資本・技術を導入した。天安門事件(89年)で民主化運動を武力弾圧するなど民主化は拒んだが、経済面では「発展は絶対的な道理だ」と主張して、社会主義市場経済体制の確立を目指す政策を打ち出した。
97年に死去したトウに後事を託された江沢民元国家主席と胡錦濤前国家主席はトウ路線を引き継いで、高度経済成長を実現。中国の国内総生産(GDP)は2010年、日本を抜いて米国に次ぐ世界2位となった。
◇「自力更生」に傾斜
江派と胡派の駆け引きの結果、無派閥だった習氏が12~13年、党総書記と国家主席に就任した。文革世代で「太子党」(高級幹部子弟)の習氏は「自力更生の道を歩もう」といった毛時代のスローガンを好み、「第2の毛沢東」を目指すかのように党内の粛清で自らの権力基盤固めを進めた。
習政権は18年に憲法を改正し、2期10年までとされていた国家主席の任期撤廃で毛時代のような終身制の道を開いた。新疆のウイグル族に対する弾圧も文革期の厳しい少数民族政策を想起させる。
経済面では国有企業を積極的に支援する一方で、民間企業に対しては政治的統制を強め、「産業報国」を要求。昨年末には「資本の無秩序な拡大を防止する」との方針を示した。第14次5カ年計画(21~25年)が掲げた新たな経済発展戦略も「国内大循環主体」「科学技術の自立自強」と自力更生的な表現が目立つ。
トウ路線の目玉として国際金融センターの香港に適用された一国二制度に関しても、習政権は国家安全維持法の制定で「高度な自治」を事実上廃止し、同制度を形骸化させた。
このような習氏の強硬路線はGDP世界2位の自信に支えられているように見える。だが、経済発展レベルを示す1人当たりのGDPを見ると、14億人超の人口を擁する中国はわずか1万ドルで、日本の4分の1、米国の6分の1しかない。
市場経済化に積極的な李克強首相が今年3月の記者会見で「中国はまだ発展途上国であり、現代化実現までの道のりは長い」と述べたように、中国は最大の途上国であって、米国のような超大国とは言い難いのが実情だ。
独裁を全面的に強化し、市場経済をけん引する民間企業や香港を政治的に締め付ける習氏の政策によって、中国は先進国入りという長期目標を達成できるのか。その成否は共産党政権の命運を左右することになるだろう。(時事通信解説委員 西村哲也)。
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独裁体制を守るためには、民主化の自由を制限するしかないのでしょう。
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