安倍晋三元首相の国葬が27日、東京・日本武道館で執り行われた。会場周辺の喧噪(けんそう)をよそに、東北各地では普段と大差ない光景が広がった。非業の死を静かに悼みたい気持ちと、国民の間に無用な分断を招いた国家行事への冷めた思い。多くの人が抱いた割り切れない感情は、拙速に国葬を決めた政府への苦言に変わった。
■割れる世論、割り切れぬ思い
買い物客らが行き交う仙台市青葉区一番町のアーケード街では毎年3月11日、東日本大震災の発生時刻に路上で人々が黙とうをささげる。午後2時過ぎに国葬が始まると、スマートフォンで生中継の動画を見つめる高齢の女性以外に立ち止まる人はいなかった。
会社員三浦はるかさん(28)は「国葬反対」とシュプレヒコールを上げてアーケード街を行進するデモ隊と遭遇。「さほど政治に詳しくなく、自信を持って賛成とも反対とも言えずにいる」と、割れる世論に戸惑いを見せた。
仙台市は27日朝から本庁舎や各区役所・総合支所で半旗を掲揚した。7月の安倍氏の家族葬では市教委にも半旗掲揚の依頼通知を出したが、国葬では見送った。9月定例会中の市議会でも特段の動きはなかった。
自民党仙台市連会長の野田譲市議は会派控室で黙とうした。震災発生時は市議会議長。「復興を強く後押ししてくれた。国葬への賛否はあるだろうが、被災地の議員としては感謝の言葉しかない」と悼んだ。
被災地では温度差も見られた。東京電力福島第1原発事故後、避難先の埼玉県草加市で料理教室を運営する福島県浪江町の大浦陽子さん(39)は、国葬に強く反対しないが「多額の税金を使ってまで行うべきものかどうか、という思いはある」と胸中が揺れる。
安倍政権時は原発事故からの復興の進展ぶりが強調されたが、「浪江に帰ってみると『まだまだだなあ』と落差を感じる」と明かす。料理教室の仕事があり、国葬の生中継をほとんど見られなかったという。
東北出身で初の首相となり、安倍氏と同じく暗殺された原敬(1856~1921年)が生まれた盛岡市にある「原敬記念館」。旅の途中に立ち寄った東京都江東区の自営業高山明雄さん(88)は「国葬の日に訪れたのは偶然。この現代に悲劇が繰り返されたことに驚く」と事件の衝撃を振り返った。
「平民宰相」として慕われた原は1921年、東京駅で凶刃に倒れた。記念館には刺殺された際に着ていたスーツの複製が展示されている。
原は初の政党内閣を組織し、日本の民主主義の礎を築いた。高山さんは世論を二分した国葬について「国会への説明がないまま実施を閣議決定したことに、国民が反発するのは当然だろう。説明を尽くし、納得できる形の葬儀にしてほしかった」と残念がった。
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歴史に名を残したかった安倍元首相の国葬強行で国民を分断させた岸田首相の責任は重い。
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