あふれる郷土愛と、地元に貢献したいとの強い思い。この日、「志」との題名で自身のブログを更新した藤川は、「僕と妻の生まれ故郷の高知で、未来のスーパースターになるチャンスを持った子供たちに、僕が投げる姿を見て今後の夢につなげてもらいたい。高知から野球人生を再スタートすることに決めました」などと、つづった。
レ軍を自由契約になり、大リーグの球団に加えて古巣・阪神からもオファーが届いた。ただ、阪神側は13年にじん帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)した右肘の状態を考慮して本職の救援ではなく、先発転向も視野に入れていた。そうした起用法などの条件面で折り合わず、藤川は地元でプレーすることを選んだ。
実は今回の入団は藤川サイドが打診したもの。「高知でプレーして地域貢献したい」と自ら申し出たという。過去、メジャーからブランクを置かずに直接、日本の独立リーグに移籍した選手はいない。今後は正式契約へ向けて条件面などを詰めるが、藤川は今季レ軍と年俸100万ドル(約1億2400万円)プラス出来高で契約していた。しかし、「うちの選手は平均で月10万円。今までの彼の額に比べたら無報酬のようなもの」(球団関係者)と金銭面では雲泥の差がある。それでも藤川は「お金じゃない。仮に(自身の加入による観客増などで)収益が増えたら何%かは野球の普及に使ってほしい」との要望も伝えているという。
心境の変化は13年に手術を受けた後のリハビリ中に生まれた。キャッチボールの距離が徐々に延びる中で、「たった5メートル投げられるようになって喜んでいた。元気になったら、投げる喜びを一番に感じられる場所で腕を振りたい」と思うようになったという。その場所こそが地元の高知。高知商では1学年上の兄・順一氏とのバッテリーで甲子園に出場し、阪神時代には自主トレを行った。高知競馬では自身の名前を冠した協賛レースを開催し、チームは順一氏がかつてゼネラルマネジャーを務めた縁もある。
リーグは5月で前期が終了。後期が始まる8月まではオフとなる。そのため、移籍期限が7月までのNPBへの復帰は現実的ではないが、来年以降は今後の活躍次第で復帰を見込める。「高知の夏が大好き。懐かしい高知の匂いが待ち遠しい」と語る藤川。愛する地元で出直し、剛球を復活させる。
▽四国アイランドリーグplus 05年に四国4県の球団で発足した日本最初のプロ野球 独立リーグ。当初の名称は 「四国アイランドリーグ」だったが、08年シーズンから福岡と長崎が 参入し「四国・九州アイランドリーグ」に。11年から九州の参加球団がなくなり三重が参加し5球団で現行の名称に変更。12年に現在の四国4球団に戻った。リーグ出身のNPB選手にはロッテ・角中や中日・又吉らがいる。
◆藤川 球児(ふじかわ・きゅうじ)1980年(昭55)7月21日、高知市生まれの34歳。高知商では2年夏の甲子園に出場。98年ドラフト1位で阪神に入団。05年に中継ぎとしてリーグ最多の80試合に登板。07年にはプロ野球記録のシーズン46セーブ。13年にカブスに移籍。今季はレンジャーズでプレーした。05、06年に最優秀中継ぎ投手、07、11年に最多セーブ。1メートル83、86キロ、右投げ左打ち。
(スポニチアネックス)
野球人生再スタートで、結果を出して、来季はNPBか。
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