70年前の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦が3か月続き、沖縄県民の4人に1人が犠牲になりました。
沖縄県は、旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」と定めています。
最後の激戦地となった糸満市摩文仁にある平和祈念公園には、早朝から遺族たちが次々に訪れ、戦没者の名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」の前で静かに手を合わせています。
沖縄戦で祖父母と父親、それに当時2歳だった弟の家族4人を亡くした糸満市の77歳の男性は「ここに刻まれた人は、戦争がなければ亡くならなかった人たちだ。戦争は戦争中だけでなく、戦後も病気や飢えで人々を苦しめる。戦争があってはならないと70年たって改めて思う」と話していました。
平和祈念公園では23日正午前から、遺族をはじめ安倍総理大臣も出席して戦没者追悼式が行われ、沖縄県の翁長知事が「平和宣言」を読み上げます。
70年がたち、沖縄では戦争体験のない世代が県民の9割近くとなり、戦争の記憶と教訓をどのように語り継いでいくかが課題となっています。
その一方で、沖縄戦の結果造られたアメリカ軍基地の負担は重いままで、翁長知事は平和宣言で、政府に対し、普天間基地の名護市辺野古への移設計画を断念するよう改めて求める方針です。
沖縄戦から70年という節目の年の「慰霊の日」は、戦没者を追悼し、平和を願う一方、戦後、沖縄が感じてきた基地負担の重さを内外に示す日ともなります。
(NHKニュース)
20万人以上が亡くなった沖縄戦から70年です。
辺野古移設反対表明で慰霊の日が盛り上がるのだろう。
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