右足首に不安を抱え、投手としてWBCの出場を辞退していた北海道日本ハムの大谷翔平の欠場が正式に決まった。右足首の状態はどうなのか? いつから痛めたのか? なぜこの時期での辞退だったのか? 様々な憶測が飛び交うなか、大谷がここに至るまでの経緯を明かした──。
── 野球がうまくなるのはオフだと言って、毎年、その時期の練習を楽しんでいる大谷選手ですが、もしかしたらこのオフは右足首に不安を抱えて、楽しくないオフになっていたのでしょうか。
「そんなことはないですよ。そういう(右足首に不安を抱えた)状態でも、できることはたくさんあったので、右足首はよくなると信じてWBCへ向けての調整をしてきましたから......実際、状態がよくなって、かなり思うように動けるときもありましたしね。ただ、その状態が続かないというか、なかなか一定しませんでした」
── 軸足となる右の足首の後ろ側、アキレス腱の下あたりにある“三角骨“に骨棘(こつきょく、骨のとげ)があって、それが痛むということだと聞いていますが......。
「はい、そうです」
── 痛むのはどの瞬間だったんですか?
「投げにいくとき、ちょうどリリースする瞬間ですね」
── 最初に痛めたのは、日本シリーズで一塁へ駆け込んだとき?
「そうですね、そこがきっかけでした。ただ、足首については、ぼくの場合はもともと緩かったので、テーピングをしてプレーすれば支障がないことも多かったんです。なので、そのあとのオランダとメキシコとの(侍ジャパン強化)試合では、ピッチングをするのは厳しいかなという状態でしたけど、十分、走れたので、だから野手で出場させてもらいました。でも、そこでまた悪化させてしまって......ゲームだと、痛くても走っちゃうものなので......そこは難しいところです」
── 打つこと、走ることは可能という判断だったということ?
「もちろん骨棘があるのはなにも変わらないわけですし、そう考えると、ランニングも打つことも、それなりの負担はかかってきます。でも、骨棘があっても収まりがいいと、痛むこともなく動ける状態というのがあって、それが日本シリーズ前の状態でした。痛みが出てくるというのは、骨棘の収まりが悪くてぶつかるという状態なので、収まりさえよくなってくれれば、WBCにも出られるんじゃないかという判断で、ここまで引っ張ってしまいました」
── 年明け、ダルビッシュ有選手とトレーニングしたとき、キックボクシングをしていたのもよくなかったのではないか、などという話も取り上げられていますが、それも影響はあったんですか。
「いや、あのときは足首の状態はよかったんです。そもそも(キックボクシングも)アップみたいなものだったので、それほど(強度が)強いわけでもなかったですし、きっとよくなると思ってずっとやってきて、実際によくなっていた時期だったので......」
── 骨棘というのは、そのとげが収まって神経に触らないでいてくれれば痛みが出ないと聞いたことがあります。そういう状態が続けば、ある意味、ごまかしながら動けちゃうということにもなりますよね。
「そうですね。ただ、(とげは)あるということに変わりはないので、結局、痛くないように投げたり、痛くないところを探してしまって、そういうことが原因となって他のところに(痛みが)来ることもありますから、やるに越したことはないですし、取るに越したことはないんですけど、難しいですね。シーズン前なだけに......」
── えっ、やるって、手術を?
「どうなんですかね。状態によると思うんですが......痛みは、今日(2月2日)は全然、問題なかったです。ただ、よくなると思ってここまでトレーニングであったり、いろいろな治療であったりとかを含めて、(WBCの1次ラウンド初戦、キューバ戦が行なわれる)3月7日に向けて、どのくらいまでピッチングができる状態に持っていけるのかを探りながらずっとやってきましたけど、状態はよくなりませんでしたし、最悪、こうなる(WBCに出られない)だろうな、ということは頭の中にはありました。実際、痛みが引かなかったら手術になるだろうという話もしていましたし、もしWBCがなかったら、去年の段階でもしかしたら手術ということになっていたかもしれません。でも、そうは言っても(WBCには)僕も出たかったですし、状態がよくなって、それが続くようなら手術する必要もなかったので......」
── 今回、WBCでピッチャーとして登板するのは難しいということを侍ジャパンに伝えるにあたって、その決断に至らしめた出来事は何だったんですか。
「まず、調整が遅れているということです。遅れているどころか、投げられませんでしたから。3月7日に合わせるとしたら、キャンプの時期も含めて、最低でも4から5試合は投げていかないといけない。そこから逆算していって、じゃあ、ブルペンではどのくらいのペースを作っていかなきゃならないのか。そう考えたときに、これじゃ、間に合わないと思ったんです。あまり(決断を)引っ張りすぎても、僕の代わりに出場する人もいるはずですし、ピッチャーと野手の枠の問題もありますから、遅くともキャンプに入るくらいがギリギリのラインだろうと......そこまでには決めなきゃいけないということを、チームのみんなでもともと決めていました」
── 1月20日にブルペンに入って、キャッチャーを立たせたまま、22球を投げました。ブルペンに入ってみたということは、そのときの感触はまだよかったんですか。
「いやぁ、どうですかね。そんなによくはなかったですよね。足の状態もよくなかったですし......」
── 結局、その日を最後にブルペンに入ることはできませんでした。
「そうですね。これはまだしばらくは投げられないんじゃないかなと......そうすると、とても3月7日に投げられる状態にまでは持っていけないんじゃないかと思いました」
── それでも、侍ジャパンに伝えたのは、WBCへの出場辞退ではなく、あくまでピッチャーとしては投げられないということでした。バッターとしては出られる可能性を感じていたんですか。
「バッティングでは痛みはそんなに出ませんし、気になるほどではありません。ですからバッターとしてはできるんですけど、なんせ走れない。もともと走ることでケガをしたので、走る強度をどのくらいまで上げられるかというところだと思っていました。ただ、こればっかりは、投げられないから、じゃあバッターで、という簡単な話じゃないと思うんです。そもそもぼくはピッチャーとして選んでもらってましたし、バッターとしては起用されるかどうかもわからない。ピッチャーとして、ということが大前提で、バッターとして出る、出ないということはぼくだけでは判断できないところもありました。ですから、ピッチャーとしてはできないということを決断して、それを伝えてもらったんです」(その後、小久保裕紀監督は大谷選手の状態を気遣って、メンバーから外すと明言)
── つまり、小久保監督からバッターとして必要だと言ってもらえたら出る覚悟だったということですか。もし、バッターとしてWBCに出たら、ピッチャーとしての調整ができず、シーズンの開幕どころか、前半戦、ピッチャーとして間に合わなくなるというリスクもあったと思いますが......。
「そこが難しいところなんですよね。全部を円滑に回すというのが不可能な状況なので、どこかを切り捨てなければいけない。だからみんなで模索して、どれがベターなのかを探してきたんです。自分のチームだったらいろいろと相談しながらできるかもしれませんけど、日の丸を背負っていますし、そういう軽い気持ちではいけないという気持ちはありました。60~70%の状態だったらマウンドに行って投げられたかもしれませんけど、それをやってはいけないと思ったんです。そう考えて、今回はピッチャーとしては投げられない、投げてはいけないという判断になりましたし、そこはバッターとしても同じだったと思います」
── 日の丸が重かったんですね。
「僕にとっては憧れみたいなものでしたし、選んでもらって、本当に嬉しかった。期待してもらっているのは伝わってきましたし、どうにかならないものかなと思っていましたから、今は申し訳ないなという気持ちが大きいです」
── 今のこういう状況で、それでも前を向くために、自分で自分をどう励ましていますか。
「どうなんですかね......。足首、よくなってくれ、としか言いようがないですね」
── 思えば去年のクリスマスのとき、サンタクロースにお願いするとしたら何が欲しいかと訊いたら、「時間が欲しい」と答えてました。
「サンタクロース、(時間を)くれなかったですね。刻々と、ここまできちゃいました」
── 野球の神様の存在を信じている大谷選手ですが、このタイミングでのケガは、何のための試練だと受け止めていますか?
「いやぁ、ちょっとまだ、そんなふうには思えないですね。4年に1度の大会だっただけに、(気持ちを整理するのは)難しいものがあります」
── 高校時代もケガで投げられなかった時期があって、今もそうですけど、それは大谷選手の中では、立ち止まっている感じなのか、長い野球人生の中で三歩進むための二歩だという感じなのか、どちらですか。
「ムダな練習はない、ということと同じじゃないですか。練習って、それがよくない練習法だったとしても、のちの自分にすごく生きてくるということがあるんです。だとしたら結果的にその練習は失敗じゃないし、ムダなことではなかったという捉え方がある。ケガをするのは決していいことではありませんけど、プレーに対してより考えるようになったり、プレーに深みが出てくるということもあるかもしれません。ですから、もしかしたらいいほうに転んでくれる要素がそこにあるかもしれない。今はどちらとも言えませんし、そんなのケガした人がいいように捉えているだけだと言われたらそれまでなんですけど、少なくとも自分でそうやって捉えるのは大事なことだと思っています」
石田雄太●文 photo by Sportiva