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2017年2月15日水曜日

エスカレートする正恩氏の恐怖政治 体制脅かす可能性も

【ソウル聯合ニュース】北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長による恐怖政治が、次第にエスカレートしている。

 父親である金正日(キム・ジョンイル)総書記の2011年末の死去を受けて最高指導者となった金委員長は、権力固めのために幹部らを次々と処刑した。13日にマレーシアで毒殺されたと伝えられる金委員長の異母兄、正男(ジョンナム)氏(45)についても、金委員長が自ら暗殺を指示したものと専門家らはみている。

 金委員長の恐怖政治は、自らを唯一の指導者とする体制を下支えする手段として用いられているが、狂気じみた粛清と処刑が長引けば権力層の内部で不安と動揺が広がり、逆に体制を脅かす「諸刃の剣」になりかねないとの見方もある。

 後継者としての教育を十分に受けておらず、父親に比べ経験もカリスマも不足していた金委員長は、父親の死後、できるだけ早く最高権力者としての地位を固める必要があった。

 韓国統一部によると、金正日総書記は1994年の父親・金日成(キム・イルソン)主席の死後、97年に党総書記、98年に国防委員会委員長に就任し、4年かけて権力を継承した。これに対し、金正恩委員長は金総書記の死から2週間後に朝鮮人民軍最高司令官に、翌年4月には党トップの第1書記と国防委員会第1委員長に推戴され、わずか4か月で手続き上の権力継承を終えた。

 金委員長による恐怖政治の最初の犠牲者は、軍部の実力者とされていた李英鎬(リ・ヨンホ)軍総参謀長だった。李氏は2012年7月に突然解任され、後に処刑された。

 金総書記の葬儀で霊きゅう車に付き添っていた、李氏と金正覚(キム・ジョンガク)氏、金永春(キム・ヨンチュン)氏、禹東則(ウ・ドンチュク)氏の軍幹部4人は、金正恩体制下で粛清されたか、または一線を退いた。

 金委員長は13年12月には、北朝鮮ナンバー2だった叔父の張成沢(チャン・ソンテク)氏を処刑し、世界中に衝撃を与えた。

 15年4月には玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力部長(韓国の国防部長官に相当)が裁判も行われないまま機関銃で公開処刑され、金委員長の残忍さが国際社会にあらためて示された。同5月には、金委員長が進める山林緑化政策に不満を示したとの理由で崔英健(チェ・ヨンゴン)副首相が処刑された。

 16年7月には金勇進(キム・ヨンジン)副首相が最高人民会議(国会に相当)で「座る姿勢が悪かった」と指摘され、国家安全保衛部(秘密警察、現国家保衛省)の調べを受けた後に処刑された。今年1月にも、金元弘(キム・ウォンホン)国家保衛相が党組織指導部の調査を受け、大将から少将に降格された後、解任された。

 13日の正男氏の殺害が金委員長の指示だったとすれば、金委員長は自らにとっての潜在的な脅威までも除去したと見なせる。韓国戦略問題研究所のムン・ソンムク統一戦略センター長は、自らを批判し続けてきた正男氏が支配体制を固める上で邪魔になると金委員長が判断し、機会をとらえて殺害したようだとの見方を示した。

 海外に暮らし、自身の唯一指導体制にとっての大きな脅威と認識していなかった正男氏までも除去したのは、金委員長が自らの権力基盤に不安を感じていたせいだとの解釈もある。
(総合ニュース)

 おバカを排除すべきだろう。

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