集団的自衛権の行使容認のための憲法解釈見直しへ向けた議論が来週以降、本格化します。安倍首相や自民党幹部らは、集団的自衛権の行使容認の論拠として、1959年の「砂川事件」判決を持ち出しています。「砂川判決」とはいったいどんな内容だったのでしょうか。
「砂川判決」の概要
砂川事件とは、東京・米軍立川基地(1970年代に日本に返還)の砂川町(現・立川市)などへの拡張に反対する「砂川闘争」の最中に起きました。57年7月に反対派が基地内に立ち入ったとして日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反(施設または区域を侵す罪)で、学生ら7人が裁判にかけられました。被告人は根拠法すなわち安保条約やそれに基づく米軍の駐留が憲法に違反しているから無罪と主張。東京地裁は憲法9条に駐留米軍は違反するとして全員無罪の判決を出しました。いわゆる「伊達判決」です。
法律や行政のあり方が憲法に照らしてどうなのかという「違憲審査権」は地方裁判所も持っています。ただ「違憲」の場合は通常の高等裁判所への控訴を飛び越して最終判断する最高裁へ上告できるので、検察官は上告しました。
1959年12月に出されたその最高裁判決で、「憲法は」「自衛のための措置を」「他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではな」く「外国軍隊は」9条の「『戦力』には該当しない」としました。では「自衛」とは何かという点に関して、9条は「わが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定して」おらず「わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であ」るとしました。これがいわゆる「砂川判決」です。
地裁判決は破棄差し戻しとなり、再びの地裁判決は有罪(罰金2000円)で上告棄却された63年に確定しました。
「自衛権」を明確に認めた判決
それでは、なぜ集団的自衛権の行使の論拠になるのでしょうか。まず最高裁判決で「自衛権」を明確に認めている点です。憲法を改正せずに内閣の解釈変更だけでどうにでもなるのであれば、憲法を事実上無力化するに等しいとの立憲主義からの反発が根強いため、「集団的自衛権がある」としたい安倍政権は、ならば違憲審査権の総本山たる最高裁の判決で権威化しようと考えたのでしょう。
「主権国として有する固有の自衛権」として集団的自衛権「行使」が認められると判断する材料として国連憲章51条があります。「武力攻撃が発生した場合は」「個別的又は集団的自衛権の固有の権利を害するものではない」が挙げられます。憲章は45年に制定され、日本の国連加盟は56年。砂川事件の最高裁判決はその後なので、当然「固有」の「自衛権」「権利」を推認し得たはずという論法です。
なお砂川判決を持ち出してまで政権が進めたいのは集団的自衛権の「限定容認」。背景にいわゆる「地球の裏側論」があります。日米同盟に基づいて米軍が地球の裏側で戦っていたら自衛隊も参戦するのかと。そうではなくあくまで最小限度に止めた個別的自衛権に果てしなく近い事態を想定しているようです。
「論拠化」への否定的な見方は?
真っ先に思い浮かぶのは「何が悲しくて砂川を持ち出すのか」という反発。この事件は当時盛んだった米軍基地反対闘争の一環と一般に認知されており、事件名も日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反です。それが違憲か合憲かを具体的に争ったのが裁判本来の目的で、自衛隊に集団的自衛権があるかどうかまで見通したとは到底思えないという認識が強く存在します。何しろ自衛隊の発足は54年。当時は自衛隊そのものが9条に違反しているという声も強い時代でした。あれは「保持しない」はずの「陸海空軍その他の戦力」そのものだと。これに対して歴代政権は「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」けど9条2項の「前項の目的を達するため」「認めない」から「前項の目的」でない個別的自衛権、当時盛んに使われた言葉だと「専守防衛」のみ認められると答弁してきました。
まして海外派遣にいたっては、90年代に入って国会がもめにもめたPKO(国連平和維持活動)協力法成立まで、おそらく自衛隊や防衛庁(当時)すら意識していなかったと思われます。今回の件が出てくるまで砂川判決で集団的自衛権を説明しようとしてこなかったし、近年アメリカで開示された公文書で焦点の最高裁判決を下した裁判官がアメリカに「無罪判決破棄」を伝えていたと類推できる資料まで見つかっています。集団的自衛権行使容認派からさえ「砂川を用いるのは筋が悪い」と首を傾げる人もいます。
判決「傍論」論の是非
先に示したように事件名は安保条約と米軍基地に関する法律違反であり、自衛権の問題は個別であれ集団であれ、核心部分からはずれた「傍論」に過ぎないという意見があります。砂川判決で集団的自衛権を容認したいグループは「最高裁判決に傍論などない」「傍論もまた判決の一部だ」と訴え、否認派は「傍論を用いたこじつけだ」と反発しています。
ただこういう議論は立場が逆転すると態度も変えるからどっちもどっちといえます。2008年、自衛隊のイラク派遣差し止め訴訟で、名古屋高等裁判所が航空自衛隊のバグダッド空輸活動を違憲とする判断を示し、その後確定しました。裁判そのものは損害賠償請求などを退けて原告敗訴です。この時、政府内から「違憲」は傍論に過ぎないと公然と声があがった一方で、派遣に懐疑的な側は「判断は重い」「撤収の論議をせよ」と訴えました。
(THE PAGE)
砂川事件は、自衛隊・米軍の駐留が憲法違反かどうかが争われた。
最高裁は、集団的自衛権の行使が認められるから、憲法違反ではないと判断。
昔の憲法の講義を思い出す。
自衛隊が違憲かどうかを争うには、裁判所に訴えも、入り口で却下される。自衛隊の塀を乗り越えて、不法侵入で捕まってから、砂川事件のように争うしかない。
憲法違反にしないための論理構成が、集団的自衛権の行使容認なんでしょう。
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