南国・グアムの青空の下、真っ黒に日焼けした松中が悲壮な覚悟を口にした。「最後の挑戦、目標がある。(キャンプに)いつ呼ばれてもいいように仕上げておかないといけない。入団テストを受けて、最後の挑戦が出来たら」ときっぱり言い切った。
ソフトバンク退団が決まった昨年9月末から、3か月半が経過したが、いまだに他球団からオファーはない。国内の独立リーグからの誘いはあったが、「自分の中ではNPBの球団で挑戦したい」と断りを入れた。
「お金じゃないですし、最後の勝負をかけたいという思い。ダメだったら、諦めもつく。(オファーがなかったら)長く待つつもりはない。強い気持ちなので、どっちになっても悔いはない」と、他球団から入団テストの誘いがなかったり、テストが不合格に終わった場合は、潔くプロ野球界から身を引く覚悟もできている。
その準備は着々と進めている。退団が決まってからも体を動かし続け、食事制限と併せて体重も5キロ落とした。「ブヨブヨで、出来ていないと思われる体じゃいけないと思っている。95キロをキープ出来ている」。20日に帰国後、バッティングも開始する予定だ。
この日はソフトバンク・松田、柳田、オリックス・糸井らとともにランニングやダッシュなどで汗を流した。個人契約を結ぶトータル・ワークアウト社の下山トレーナーは「(筋力の)数字は去年より良くなっている。体は進化している」と太鼓判を押した。今年43歳を迎え、野球人生の岐路に立つ松中。「見てもらいたいというのが一番」という切なる願いは届くのか。
◆現役にこだわり続けた主な選手
▼江夏豊 1984年に36歳で西武を退団し、一度は現役引退を表明したが、後日行われた引退式で、当時では珍しいメジャー挑戦を表明。85年にブルワーズの春季キャンプに参加し、オープン戦で結果を残したが、開幕メジャーはならず、現役続行を断念した。
▼山本和範 82年に近鉄、95年にダイエーから戦力外通告。近鉄をクビになった際はバッティングセンターでアルバイトしながらトレーニング。96年にテストを経て近鉄に復帰。同年オールスターにファン投票で選出され、かつての本拠地福岡ドームで決勝本塁打を放ち、MVPに輝いた。
▼中村紀洋 近鉄、ドジャース、中日など日米の球団を渡り歩き2014年にDeNAを自由契約に。15年は獲得を表明する球団がなく浪人生活。現役続行にこだわり続け、11日の名球会ベースボールフェスティバル(ヤフオクD)の本塁打競争ではサク越えを放った。
(スポーツ報知)
手を挙げる球団があるだろうか。
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