「飛行機に乗せてあげる。ご飯もおなかいっぱい食べられるよ」という、当時の九重親方(元横綱千代の山)の誘い文句で中学3年生の1970年秋場所、北海道福島町から東京に転校して入門した。「やせて目ばかりがギョロギョロして、オオカミそのもの」と、付けられたあだ名は「ウルフ」。入門から4年後に新十両、そこから1年足らずで新入幕を果たした。
100キロに満たない細い体で、相手を力任せに投げで振り回す、向こう気の強さだけをたのみにしていた。幕内下位の頃は、土俵上で相手との長いにらみ合いが幕内前半戦の名物に。しばしば審判部からお叱りを受けたが、78年名古屋場所で小結に昇進した。
だが強引な取り口では2桁勝利できず、肩の脱臼もあって十両落ち。逆境の中、先々代死去後に師匠になった先代九重親方(元横綱・北の富士)の指導で上半身を筋肉で固め、立ち合いの踏み込みから左で前まわしを取って引きつける正攻法を身につけ、快進撃が始まる。
十両落ちした79年夏場所は途中から出場して9勝し幕内復帰。そこから1年後の80年秋場所は3回目の小結で、初の2桁勝利になる10勝。翌場所新関脇で11勝。その次の81年初場所は初日から14連勝し、千秋楽に北の湖に本割で敗れたものの、決定戦を制して初優勝。たった1回のチャンスをものにして大関に昇進した。この取組の視聴率は52%超。大相撲がテレビで放送されて60年あまりになるが、いまだに破られない最高視聴率だ。
大関も3場所で通過し、横綱昇進。横綱在位59場所、ほぼ10年、角界を先導した。大関までの2回を合わせて幕内優勝31回は白鵬、大鵬に次ぐ成績。現理事長で弟弟子の北勝海との同部屋優勝決定戦の優勝(89年名古屋場所)もあり、53連勝(88年夏~九州場所)、通算1045勝を記録した。一方で度重なるけがで休場が相次ぎ、優勝しながら千秋楽に休場したことも。賜杯と写真に納まった愛娘が突然死するなど苦闘もあった。現役最後の場所は91年夏場所だった。後に優勝22回を数えた貴乃花(当時は貴花田)に初日に敗れ「三重丸、いや五重丸」とたたえて、2日後に引退した。
立ち合いで、相手をまともに受けるため、右の顎(あご)がへこみ、親方になってからは片足を引きずりながら歩いていた。審判部で出を待つ間は歴史小説などの読書を欠かさない努力家で、弟子の指導も交換ノートやビデオを用いる「理論派」大関千代大海(現佐ノ山親方)をはじめ、現在も6人の関取を擁する部屋に発展させた。現役としても指導者としても、お手本を示した。
◇千代の富士(ちよのふじ)
58代横綱。本名・秋元貢。北海道福島町出身。15歳で元横綱・千代の山が師匠の九重部屋(当時)に入門。1970年秋場所初土俵、74年九州場所新十両、75年秋場所新入幕。関脇だった81年初場所で初優勝して大関に昇進。81年名古屋場所後には横綱となった。優勝31回は白鵬(37回)、大鵬(32回)に続く歴代3位。88年には53連勝し、89年には角界初の国民栄誉賞を受賞。91年夏場所に引退。年寄「陣幕」を経て、92年には年寄「九重」を襲名して部屋を継承、大関・千代大海(現在の佐ノ山親方)らを育てた。2008年には理事に初当選。広報、事業など各部長を歴任したが、14年の理事選では落選した。
(毎日新聞)
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