陸上自衛隊によると、大和さんがいた廠舎(しょうしゃ)と呼ばれる簡易宿泊施設は、幅6メートル、縦30メートルの半円状の木造。演習時の宿泊や休憩などに使われ、50人まで利用可能という。板敷きの室内には、約40枚のマットレスが積まれていた。
大和さんが行方不明になった場所から同施設は直線でも約6キロ。演習場までは複数の林道があり、「道なりに歩いたら10キロある。上り下りもある山道で、隊員でも2時間半はかかる」(陸自担当者)という。
道警や消防などは不明になった場所から最大15キロ四方を捜索したほか、自衛隊員が同演習場脇まで林道周辺をオートバイで回って確認した。しかし演習場は大和さんを降ろした後で家族の車が進んだ方向と逆で、山を登る形にもなることや「ここまで1人で歩いて行くのは考えられない」と対象に入っていなかった。また、捜索とは別に施設の点検に訪れた隊員が5月30日午前9時50分ごろ、建物の中を確認したが、異常はなかったという。
演習場の周囲には、大和さんの背丈より高いやぶがある。敷地内も車1台が通れる程度の未舗装の道が複雑に入り組んでおり、両脇には高さ6~10メートルの木々がうっそうと生い茂る迷路のような地形という。大人の背丈でも周囲を見通すことはできず、担当者は「枝道を避け、なるべく太い道を選び続けた結果、発見された施設にたどり着いたのではないか」と推測する。道警によると、大和さんは「28日夜からここ(施設)にいた」と話しているという。
施設では建物の外にある水道の水が出るが、食料はなく、ストーブや電灯は発電機がなく使用できない状態だったが、スイッチは入っていた。建物内も夜は真っ暗で、大和さんは「電気をつけようとしたが、つかなかった」と話したという。演習場内には他に体を休められる建物がなく、最も近い民家までは約1キロ離れていた。
函館地方気象台によると、5月28日から6月2日までの函館市の天候は夜間を中心に雨の降った日が多かった。鹿部町に隣接する森町では、6日間のうち4日間は、最低気温が10度を下回った。
大和さんはTシャツにジャージーの薄着姿。現場にいた隊員の一人は「室内のマットの間で体を休めていたのは、低体温にならないために適切な判断だったと思う」とみる。
冒険家・三浦雄一郎さんのエベレスト遠征隊に同行した経験がある国際山岳医で、山岳遭難などに詳しい心臓血管センター北海道大野病院(札幌市)の大城和恵医師(48)によると、生存のために良かった条件として▽雨風をしのげる小屋のような建物を見つけることができた▽そこから動かなかった▽真冬のような季節ではなかった▽水が飲めた--の4点が挙げられるという。「どれか一つでも欠けていたら難しかっただろう。ただ、あと数日遅かったら危なかったかもしれない」と大城医師は話す。【野原寛史、立松敏幸】
(毎日新聞)
周辺の小屋を調べていなかったのだろうか。
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