中村は昨年5月、DeNAのチーム方針に従わない言動があったとして登録抹消。その後は一度も一軍登録されることなく、シーズン終了となった。そして、秋には戦力外通告。活躍の場を求めて他球団への移籍も模索したが、2015年シーズンの7月も終わる。ここまで諦めることなくトレーニングを続けてきただけに、心中は穏やかではないはずだが、中村の口からは意外なコメントが返ってきた。
「そんなことはないですよ。意外と冷静に自分の現状を見ることができています。自分自身がバタバタしても仕方がない。それでもギリギリまで何が起こるか分からないから準備をしておく。それ以外にやることはないですから。今までと同じです。何事も諦めずに自分のやるべきことをする。これからも、そういうところを変えるつもりはありません」
実際には7月中に獲得に乗り出す球団がなければ、今季はどのユニホームを着ることもなく終えることになる。年齢的なことも考慮すると、来季も獲得に乗り出す球団が現れるとは考えにくいが、それでも準備を続けるのか。
「考え方としては、生涯現役ということです。常に挑戦し続ける。この気持ちは一生変わることはないです」
今季のプロ野球をテレビなどで観戦する中で、もどかしい気持ちはあるはず。打席に立てさえすれば、結果を残す自信もあるはずだ。
「シーズン30本塁打となるとできないとは思うが、場面に応じて自分の打撃をできる自信はありますね。守ることに関しても、まだまだやれると思っています」
そんな中、今年の5月には兵庫・西宮市内に野球教室を構えた。
「夢であった少年少女の育成に着手できることとなりました」
DeNA時代の13年5月5日に2000安打を達成。その記念日である5月5日に野球教室「N’s Method」を開校し、中学生以下の少年、少女、草野球やゴルフの上達に励む大人までを対象にレッスンを行っている。
「将来、一人でも多くの野球選手をここから輩出したいと思っています。この試みも僕にとっての挑戦です。これまで培ってきた理論をもとに、後進の指導に当たることは義務であり、野球への恩返しだと考えています」
新しい試みとしては、中村は42歳の誕生日だった7月24日に、私、楊枝が昨年4月に神戸・三宮に開業したスポーツバー&ダイニング「42」でライブトーク&ディナーショーも行った。中村紀洋という野球人を支えてくれたファンとの至近距離での交流は大盛況だった。
「ファンの皆さんと交流を持つということは、これまでずっと考えていたこと。応援してくれる皆さんの前で生涯現役、新たなことに挑戦し続ける気持ちを表現することができてよかったと思っています。これからも、この信念を胸に勝負していきますので、応援よろしくお願いします。まだまだ、いろんなことを僕の中では考えています」
中村の頭の中に「現役引退」の4文字はない。あるのは「生涯現役」の4文字。もちろん、NPB復帰も諦めていない。それに向けてのチャレンジは、まだまだ続く。
☆なかむら・のりひろ=1973年7月24日生まれ。大阪府立渋谷高では2年夏に甲子園出場。91年、ドラフト4位で近鉄に入団。94年9月18日の日本ハム戦(藤井寺)でサイクル安打。2000年には39本塁打、110打点で2冠王に輝いた。02年オフにFA宣言して近鉄に残留。05年1月にポスティング申請し、ドジャースとマイナー契約を結んだ。06年にオリックス入り。ケガに苦しみ、07年シーズンの契約がまとまらず自由契約になり、中日に育成枠で入団。その後、支配下選手に昇格し、07年の中日日本一に貢献した。08年オフに2度目のFA権行使で楽天に移籍。10年に戦力外となり、11年5月に横浜(現DeNA)入り。13年に通算2000安打と400本塁打を達成。14年10月にDeNAから戦力外通告を受けた。
☆ようじ・ひでき=1973年8月6日生まれ。41歳。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、阪神などプロ野球担当記者として活躍した。2013年10月に独立し、同年12月、アメーバブログ「楊枝秀基のワッショイ!! スポーツ見聞録」を開設。昨年4月2日に神戸・三宮にスポーツバー&ダイニング「42」を開業し、11月8日にはフォレスト出版から「阪神タイガースのすべらない話」を発売した。
(東スポWeb)
使い物にならない外国人より、中村が活躍できると思うが、日本ハムは獲得しないのだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿