2014年10月、海老蔵が東京・日本橋三井ホールでの公演中に、麻央の乳がんが分かった。「人間ドックを受けて分かった。かなり早いスピードで進行し、大変なものと言われた」。海老蔵は途方に暮れたが、麻央は気丈だったという。「ショックは私より大きいのに、冷静に見ている部分があった」。
すぐに手術はできず、抗がん剤治療が始まった。体調によって、入院と通院を繰り返した。昨年11月に歌舞伎座で勸玄くんの初お目見えがあった時、麻央は病院から通ったという。母の執念だった。
「誰よりも本人がつらいと思う。元気になりたい、小さい子供のそばにいられないという気持ち、私には計り知れないつらさと闘っている。子供がお見舞いに行き、麻央が帰ってくると、子供と楽しく過ごしている。きらきらした時間です」
現在は一時退院している。通院治療を受け、この日も「行ってらっしゃい」と送り出された。「手術する方向で治療していて、麻央も前向きに病気と闘って、明るく振る舞っている」。長女麗禾ちゃんは母の病気を理解し、見舞いの時には絵や折り紙を持参するという。「さみしい思いをしているけれど、自分の中で闘って、踏ん張っている」。勸玄くんには「虫に刺されて、元気に遊べるように病院に行っている」と話したという。
約30分の会見中、海老蔵は気丈に振る舞った。「いないとさみしいし、子供と寝ていても、空虚な時間がある。存在の大きさを痛感している」。そして、病気を公表するか悩んできたという。「子供のことを思うと、父親として逃げも隠れもせず、子供を導いていく環境作りをしないといけない」。この日朝、自宅前に報道陣が集まり、子供が幼稚園を休む事態となったことで、「子供の生活を守る」と会見を決めた。
病気の判明から1年8カ月。「長かったけれど、これからも続く。おのおのが忍耐し、悲しんだ1年8カ月だった。麻央とは元気がない時にくだらない話をするし、『必ず元気になると思う』と話している。地方で仕事の時は、電話で1、2時間話すこともある」。ここ数年、長い休暇を取らなかったが、「今年は休みを取ろうと思うので、どこか行きたい。どうか付いてこないでほしい」と話し、つかの間、会場に笑いが広がった。
海老蔵は「治るまで全面的に支える。麻央には『治っても支えるよ。そして、おれのことも支えてね』と言ってきた」と語った。そこには、夫として、父として頼りになる、大きな海老蔵がいた。
◆がんの進行 一般に早期がん、進行がん、末期がんの3段階に大別される。進行度を表すのがステージ(病期)で、0→1→2→3→4の順で、早期と進行は、がんの種類によるが、一般的にがんがどこまで浸潤しているかで決まる。早期がステージ1、2。ステージ3以降が進行で、ステージ4が末期となる。
(日刊スポーツ)
海老蔵が、気丈に振る舞っていたが、本当はとても深刻な状態だと思う。
長い休暇は、最後の旅行かもしれない。
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