その感性と世界観は、幼い頃聞かされた昔話と故郷、鳥取県境港市の豊かな自然に育まれたものだ。
人気漫画家となる一方、妖怪研究と冒険を兼ねてエネルギッシュに世界各地を回って資料収集した。1995年には「世界妖怪協会」を作家の荒俣宏さん、京極夏彦さんらと共に設立。妖怪の“市民権”を日本に定着させるシンボル的役割を果たした。そうした創作や研究活動は、アカデミズムにおける妖怪研究の深化にもつながった。
そして、水木さんのもう一つの側面も忘れてはならない。それは戦争を現代にわかりやすく伝えた功績だ。
「『何でもいい』と頼まれたら、戦争ものを描きたい。前線とはどんなものなのかを」。2003年、旭日小綬章に決まり、今後描きたいものを問われた時の答えだ。それまで楽しそうに妖怪の話をしていたときとは、顔色も声色も違った。「生き延びて好きなことをしている自分より、戦死した人たちがもらうべきなんでしょうけど」と、亡くなった人々への鎮魂の思いを口にしていた。
代表作の一つである戦記漫画「総員玉砕せよ!」では、太平洋戦争の激戦地、ニューブリテン島での死闘を、自らの過酷な戦場体験に重ねて描いた。死と隣り合わせの兵隊の心情、理不尽な軍隊生活の様子が生々しく伝わってくる。
前線で戦う兵士たちのスケッチに文章をつけた「水木しげるのラバウル戦記」もそうだが、水木作品は時に滑稽(こっけい)さを交えて淡々とつづる。その筆致がかえって戦争のむなしさ、おろかさを際立たせる。
世に戦記ものはたくさんある。しかし残念ながら、広く読者の手にとられるものは少ない。人気漫画家である水木さんが描くことによって、戦争の実態が広く伝わったのだ。
今春、出征前に書き残した手記が見つかったことが報道された。最後まで世に問うたのは“戦争”だった。戦後70年の節目に、また一人、戦争の実相を伝える貴重な語り部が旅立ってしまった。
【内藤麻里子】
平和でなければ、妖怪が話題にならないが、印象に残っている。
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