松田の言葉にもう迷いはなかった。
「残留を報告します。(メジャー)複数球団の方から興味を持ってもらった。僕の10年間は間違ってなかったと再確認できました」
揺れ動いていた心が動きを止めたのは、4日前の20日だ。「王会長から連絡をいただき“まだ一緒にやろうと思っている”と言っていただいた。そこで“会長、メジャーへ行きます”と言えませんでした」。恩師の言葉で松田の気持ちは一気に残留へ傾いた。
11月9日に海外FA権行使を表明し、同23日にはパドレスのA・J・プレラーGMらと福岡市内で面談した。「カーショーの球を打ちたくないか?」。ナ・リーグ西地区のライバル・ドジャースのエース攻略を持ちかけられて、心をくすぐられた。その後、パドレスから2年総額4億円の提示を受けた。ソフトバンクから提示され、この日に合意した4年総額16億円プラス出来高払いに比べれば見劣りした。それでも、メジャーの魅力は心の中でだんだんと大きくなっていった。「(王会長から)電話をもらう前は(パドレスに)行こうとしていた」
ただ、パドレスから求められた二塁と遊撃の守備には不安を覚えていたという。「二塁、遊撃は守ったことさえない。メジャーでできるか。それが挑戦なのか。三塁一本の話はなかったし、二塁をやると打撃にも影響する」。悩みに悩んだ中で尊敬する世界の王から受けた「殺し文句」は松田の心にズシリと響いた。
22日に残留を報告した王会長からは「良かったな。頑張るぞ」と言葉をもらった。1年目だった06年、当時監督だった王会長がメジャー通算214発の実績を引っ提げ入団したバティスタを2年契約の途中で解雇し、三塁のポジションを空けてくれた。ここまで育ててもらった恩返しは終わっていない。「3、4、5連覇を目指したい」。背番号5はクリスマスイブに決意を新たにした。(福浦 健太郎)
(スポニチアネックス)
ソフトバンクの時代が続きそうだ。
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