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2016年9月12日月曜日

加藤紘一氏死去 リベラル、強烈な自負心 「自民の先々心配」

 訃報に接し、平成13年2月、山形県鶴岡市の地元事務所を訪ねた際、揮毫(きごう)してもらった色紙を自宅の机から引っ張り出した。

 「真実一路」

 昭和47年に33歳で初当選して以降、「宏池会のプリンス」として官房長官や自民党幹事長などを務め、あと少しで頂上に手が届くところで足元の加藤派を固めきれず、あえなく挫折した「加藤の乱」から約3カ月後のことだった。

 こうと信じるところが「真実」であり、貫き通していこうという覚悟のほどがうかがえる。一敗地にまみれ、たどり着いた心境ではなかったか。

 その政治手法をめぐり、快く思わない勢力からは「怜悧(れいり)」「冷淡」「自分勝手」「優柔不断」などと批判された。ただ、東北人にありがちな「照れ」や「つつましさ」という性格の裏返しという面もあった。

 一方で、自民党を牛耳っていた旧経世会(竹下派)に対抗しようと、小泉純一郎元首相、山崎拓元自民党副総裁と結成した「YKKトリオ」で指導的な役割を果たすなど、現状に小細工なしで風穴をあけようとする強さも併せ持っていた。

 政治理念としていたリベラルについては、その重鎮としての強烈な自負心を持ち続けていた。振り返るに、加藤氏のリベラルとは「他人に対する思いやり」ではなかったか。

 数年前、都内で食事をともにする機会があった。体調を崩しており、数センチの段差につまずいて私の左肩に弱々しくもたれかかった。不意に政治向きの話題になったとき、こんな不満を漏らした。

 「自民党には信念を持った『リベラル』派がいなくなった。先々が心配だ」

 矜持(きょうじ)は最後まで揺らがなかった。(松本浩史)
(産経新聞)

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