熱戦が繰り広げられた北京冬季五輪は20日、閉幕を迎えた。中国の人権状況に懸念の目が向けられた大会は「平和の祭典」としての限界を露呈。昨夏の東京五輪で見られた選手の表現活動は消極的で、環境への影響が懸念される人工雪の会場は「選手第一」からは遠い状況も指摘された。史上最多18個のメダルを獲得した日本選手団の活躍で「スポーツの魅力」は印象づけられたが、フィギュアスケート女子のドーピング問題など、今後に禍根を残す「負」の面が印象に残ってしまう17日間でもあった。
悲しい事故が起きたのは開幕前日の3日だった。スノーボード女子スロープスタイルとビッグエアの芳家里菜(STANCER)がスロープスタイルの公式練習中に転倒し脊椎を損傷し、五輪の欠場が決まった。転倒による欠場者はほかにもおり、要因として天然雪よりも硬くて滑りやすいとされる人工雪の影響が指摘された。スノーボード女子スロープスタイルのジェイミー・アンダーソン(米国)は2日の練習後、「(雪質は)とても硬い。絶対に転倒したくない。まるで防弾の氷」と語った。
競技会場の北京と河北省は降水量が少なく、人工雪に頼らざるを得なかった。雪を造るには大量の水が必要で「持続可能な五輪」との整合性に疑問符がつき、大会後も環境への影響が懸念される。「自然との調和」が求められる冬季五輪において改めて開催地選びに課題を残した形だ。
地球温暖化は世界的な課題で、そもそも冬季五輪開催に適した地域は少ない。国際オリンピック委員会(IOC)が開催地に北京を選んだのも苦渋の決断ではあった。欧州の有力都市が巨額の開催経費への懸念から相次いで招致から撤退し、残ったのは北京とアルマトイ(カザフスタン)の2都市。今後、会場規模の適正化や競技数、参加選手数の見直しなどの改革なくして冬季五輪の発展はない。
五輪が単なるスポーツイベントと一線を画すのは、スポーツを通じ、よりよい社会の実現や世界平和に貢献するといった理想による。バッハ会長は18日の会見で「(北京五輪は)大きな成功を収めた」と総括したが、果たしてそうだろうか。東京五輪から緩和された選手の政治的、宗教的、人種的な表現活動は目立たず、帰国してから人権問題を抱える中国での開催を決めたIOCを批判したメダリストもいた。新型コロナウイルス禍での開催を、厳格な「バブル方式」で乗り切ったことは評価できるが、「五輪の理想」に照らして「大きな成功」といえるのか、疑問が残る。
公平、公正な舞台での競い合いがスポーツの原則だが、IOC自ら原則から目をそらしてきた結果ともいえる事態も起きた。禁止薬物に陽性反応が出たROC(ロシア・オリンピック委員会)の15歳、カミラ・ワリエワがスポーツ仲裁裁判所(CAS)の裁定で出場が認められた点について、IOCは「提訴したが、敗れたので従うしかない」などとし、責任はないという姿勢を示した。しかし、いまだ解決をみないロシアの組織的なドーピング問題に対し、毅然とした対応をしてこなかったIOCが招いた悲劇ともいえ、率先して襟を正すべきだ。
疑問を抱く判定も目立った。ジャンプ混合団体では高梨沙羅(クラレ)を含む女子5人がスーツの規定違反で失格。五輪で5人もの失格者が出たのは異例で、こうしたルール運用は「選手置き去り」ともいえる。東京五輪から半年。同じコロナ禍での異例の大会ながら「北京」は「東京」とは異質の「顔」をのぞかせた。(橋本謙太郎)
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いろいろありましたが、天然の良質な雪がない場所での開催はどうなんでしょうか。
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