参院選の遊説中に銃で撃たれ死亡した安倍晋三元首相の「国葬」が秋に営まれる。
葬儀の形式に悩んでいた岸田文雄首相の背中を押したのは、ある自民党議員から伝えられた「前例にとらわれない方がいい」との言葉だった。これを受け、首相は国葬を執り行う腹を固め、13日に秘書官に伝達。翌14日の記者会見で電撃的に発表した。
「できれば国葬に近い形でやりたい」。首相は13日、国葬採用の決断を秘書官にこう伝え、具体的対応を検討するよう指示した。
周辺によると、首相には当初から安倍氏を丁重に送りたいとの思いがあったようだ。安倍氏が死去した8日、葬儀について記者団に「考える余裕はまだない」と断りつつ、「相当の敬意を表してしっかり対応を考えるべきだ」と語っていた。
もっとも、戦後、首相経験者の国葬は吉田茂氏の1例のみ。「国民葬」も佐藤栄作氏だけで、1980年死去の大平正芳氏以降は「内閣・自民党合同葬」がほぼ定着していた。戦前の国葬令は廃止されており、政府内では「今、国葬を行うなら法整備が筋」(官邸関係者)との声が強かった。
さらにインターネット上では国葬をめぐる賛否が割れ、自民党内にも「論争で安倍氏の功績に泥を塗るべきではない」との声があった。このため、首相は徐々に慎重姿勢に傾いていった。
官邸関係者によれば、首相を再び前向きにさせたのは、安倍氏の家族葬があった12日に党所属議員から受けた1本の電話だった。議員は「国葬を行った方がいい。安倍氏にふさわしい葬儀にすべきだ」と進言。当初は「根拠法がない」と説明していた首相だが、「法整備すればいい」と助言され、国葬は実施可能と意を強くしていった。
首相が決断を秘書官に伝えたのは翌日。これを受け、秘書官が政府内の調整に入ると、内閣法制局から「国葬は閣議決定で行える」との見解が示され、法整備なしで国葬を行う方針が固まった。情報が漏れて横やりが入るのを懸念してか、この間、与党サイドと情報は共有されなかった。
官邸が与党幹部に国葬実施の方針を伝え始めたのは首相会見の約1時間前。首相は午後6時からの会見冒頭、安倍氏の憲政史上最長の在任期間や内政・外交面の功績などを長々と説明した上で、「こうした点を勘案し、この秋に国葬儀の形式で安倍元首相の葬儀を行うこととする」と表明した。
官邸は半旗を掲げるタイミングが米国やブラジルより2日以上遅れ、保守派から不満が出ていた。首相は自民党側から「このままでは突き上げを食らう」と耳打ちされたことも考慮したとみられる。
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国葬、賛否両論でしょう。
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