そう語るのは、片山さつき自民党参院議員(57歳)。約30年前、舛添要一東京都知事(67歳)の妻だった女性だ。確かに、舛添氏は“演技力”に自信があるのだろう。13日の定例会見に集まった報道陣は約200人。正月の家族旅行でのホテル宿泊問題など、次々と浴びせられる質問に対し、証拠をひとつも開示せずにかわそうとしたのだから……。
片山氏は舛添氏を、自己アピール力だけで生きてきた政治家だと評する。
「利用できる人はなんでも利用する人なんです。彼にとって他人は、利用する、あるいは寄生する対象でしかない。私との結婚も、大蔵省の女性キャリアという肩書を利用したかっただけ」
1986年、片山氏は大蔵省(現財務省)に勤めていた27歳のときに、10歳年上の舛添氏とお見合い結婚をした。当時、舛添氏は東京大学助教授。この結婚が、突然、夕刊紙の1面で報じられたのだ。
「夕刊紙の女性記者に、“結婚を記事にしてくれ”と自ら売り込んでいたんです。さらには、テレビのワイドショーで結婚式が報じられ、親戚から“なんでこんな売名をするんだ”と両親が責められてしまいました」(片山氏・以下同)
大蔵省幹部への結婚の挨拶も終わっていなかった。若手キャリア官僚が“売名”で得をすることはひとつもない。
「結婚生活では、『“大蔵省の女性と結婚したから、さぞ金回りがいいだろう”と友達に言われた。でも何ひとついいことがない』と言われました。私はまだ係長で手取り20万円ちょっとの安月給だったのに、5万~10万円、お金を入れさせられました」
仕事で遅くなると、「遅く帰ってきやがって」と一方的にまくしたて、さらにはまわりの物を投げつけてくる。
「あまりに怖くて、夜、逃げるようにタクシーで実家に帰ったこともありました。別居を決めて、うちの父に家財道具を取りに行ってもらったんです。そしたら、悔しかったのか、私の私物に上から踏みつけたとしか思えない跡がありました」
3カ月で離婚を考え、弁護士に相談。すると、舛添氏には愛人がいて、妊娠中であることもわかった。離婚調停を申し込むが、舛添氏は応じない。結局、離婚が成立したのは、結婚から2年3カ月後だった。
「ビートたけしさんがおっしゃっていましたが、“東大(教授への道)がダメになり、タレントで名前を売って政治家となり権力欲を満たすだけの人”。品性、品格のある政治など、この人には無理。それでも、都知事に居座るでしょうね。ここで辞めたら、もう後がないから。引き際とか考える人じゃないんですよ」
(週刊FLASH 2016年5月31日号)
どちらも売名行為みたいなものだろう。
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