“自由民主党の総裁選に立候補しない”。9月3日、実質的な辞任表明をした菅義偉首相(72)。総裁任期は9月末までなので、菅政権はまだ続くが、早くも党内はねぎらいモードに入っている。
小泉進次郎環境大臣(40)が「こんな仕事をした総理はいなかった」と涙ながらに語ったかと思えば、安倍晋三前総理(66)は「本当に立派に務めていただいた」と賛辞を贈った。
だが、菅首相がもっとも注力した“仕事”は、東京オリンピック・パラリンピックの開催ではなかったか。東京都の新型コロナウイルスの感染者が過去最高を更新し続けるなかで五輪を強行。開会式やIOCバッハ会長の歓迎会をはじめ、五輪関連イベントへの参加にも余念がなかった。
菅首相の“最期”を複雑な思いで見る人がいる。東京五輪の強行のために、父が亡くなってしまったと考えている女性だ。
■「五輪指定病院になり、転院を求められた」
「『気が滅入ってしまうので面会に来てほしい……』。電話でのそんなやりとりが、父との最後の会話になるなんて……」
そう静かに語るのは、首都圏に住む鈴木佳奈子さん(仮名・38)だ。8月初旬、73歳になる最愛の父を心不全で失った。入院先の病院での突然死。“看取り”すらできなかったという。
「父は、今年4月からコロナとは別の病気で都心の病院に入院していました。急性期の病院なので、少し症状が落ち着いたら療養型の病院に転院しましょう、と以前から言われていたんです。でも、7月に入ると、急に看護師さんから、毎日のように『いつ転院できますか? 早く転院先の病院を見つけてください』と、急かされるようになって」
佳奈子さんの父は、病状は落ち着いているものの、病気による体力の衰えが激しく合併症もあったため、すぐの転院には不安があったという。
「でも、私と母がお見舞いに行くたびに、看護師さんが転院の話をしてくるんです。どうしてそんなに急ぐのかと思ったら、病院がオリンピックの指定病院になっていたようで。選手や関係者に何かあった場合に受け入れ用のベッドを空けておかないといけないから、可能な人から転院を進めているという話をソーシャルワーカーさんから聞きました」
大会組織委員は、けがをしたり、コロナに感染したりした選手らを受け入れる「大会指定病院」を競技会場周辺に29カ所確保した。組織委員側は「事前の病床確保を要請していない」と主張していたが、実際には受け入れ態勢を作るために、病院が事前に病床の“整理”を行っていたようだ。
■「五輪がなければ長生きできたんじゃないか」
佳奈子さんは、母と共に転院先を探したが、希望している病院の病床が空いていなかった。だが、入院中の“大会指定病院”からは、早く退院するように再三促された。
「あと1週間くらい待てば、希望していた病院が空く予定でした。でも、転院を急かされていたので、いったんつなぎの病院に転院してから、希望する病院のベッドが空いたら、再度転院することになったんです。でも、父は転院するのがとても不安だったみたいで、転院の直前に少し体調も崩していました」
それでも、早くベッドを空けなければという思いから、半ば追い出されるかのように転院に踏み切ったのが、オリンピックが始まった3日後の7月26日。
「つなぎで入った病院は面会が一切禁止。以前は、毎日のように会いに行っていたので、父はすごく不安がっていました。精神的にも参ってしまって、ご飯も食べられない、と……。電話をするたびに声が弱々しくなっていくのがわかりました」
あと数日で、本来入りたかった病院に転院できるはずだった。
「病院から電話がかかってきて。今朝、お父様がお亡くなりになりました、と……」
突然のことで、なにがなんだかわからない佳奈子さん。母と共に急いで病院に駆けつけると、すでに父は冷たくなっていたという。
「父は、慣れない病院で、ひとりぼっち、どれほど心細かったことか……。オリンピックがなかったら。コロナ禍でなかったら。父はもう少し長生きできたんじゃないか、って思うんです」
小泉氏が「こんな仕事をした総理はいない」という菅首相だが、その仕事がはたして庶民のためになったかは疑問が残る。
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ねぎらいモードはいらない。ゴリパラ強行でたくさんの命が失われている。
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