平沢氏が年頭に想定していた大型選挙は7月の参院選だけのはずだった。だが、春ごろから舛添都知事(当時)の政治資金などの「公私混同疑惑」が浮上。一向に収束の気配は見えず、混乱はエスカレートしていった。
6月13日の都議会総務委員会の集中審議で舛添氏は約3時間にわたって厳しい追及を受けたが、「どうか少しの猶予を頂きたい」と辞任を否定。不信感はさらに広がった。同じ日、別の場所で開かれた参院選候補者の応援集会に駆けつけた平沢氏は不測の事態にこう嘆いた。
「あの人は『舛添』ではなく『巻き添え』です」
都連幹部として舛添氏に出馬要請した1人として責任を痛感していた。「私には舛添さんに出馬を要請した責任があった。でも、あのままの状態では自民党のほかの候補者や選挙も巻き添えにしてしまう。自民党への一つの警告でしたね」。そんな危機感から口に出た、舛添氏への批判だった。
新聞、テレビなどで報道される舛添氏の言動を眺めながら、政治家としての資質に疑問も感じていた。
「正直なところ、あんな横柄な人だとは思わなかった。『ファーストクラスを使って何が悪いのか。スイートルームに泊まって何が悪いのか』と。知事は都民のために働くわけですから。上から目線の感覚は理解できませんでした」
舛添氏はそれから2日後の同15日に辞職。だが、長く続いた舛添問題は参院選だけではなく、都知事選の候補者選定にも悪影響を及ぼした。周囲を「巻き添え」にした迷走劇の始まりだった。
平沢氏と「長い付き合いがある」という小池百合子氏が出馬を表明する中、都連の候補者選びは二転三転。最後は元総務相の増田寛也氏を推すことが決まった。
平沢氏は自民党幹部の中でも強固な地盤に支えられ、96年以降東京17区で連続7回当選。09年に自民党が大敗を喫した際も勝ち切っている。増田氏に決めた都連の候補者の選考過程には、そんな地元から強い反発があった。
「後援会で会合を開いても『今度だけは小池さんを応援したい』という人がたくさんいた。いくら私が説得してもダメでした」
党内、地元で結束できなければ敗北の可能性は一気に高まる。結局、分裂状態のまま選挙戦に突入し、小池氏に大敗した。
小池氏は選挙中から都連の意思決定の過程などを「ブラックボックス」と批判し、“都議会のドン”と言われる内田茂氏らを標的とした。一方で、就任後は改革にも着手。豊洲市場の移転問題や五輪会場の見直しなどに取り組み、高い支持を得ている。
平沢氏は小池氏の改革に一定の支持をしているが、「戦線を拡大しすぎているのではないか」との懸念もある。今後に向け「側近を置くべきだ」と勧める。平沢氏が理想とするのは、中曽根康弘内閣で官房長官などを歴任した後藤田正晴氏のような人物だ。 「中曽根さんを支えた後藤田さん、安倍首相を支える菅義偉官房長官のような側近が小池さんに必要です。そうしないと、改革はうまくいかない。夏には都議選もあります。周りをいかに使うかが大事になってきます」
(スポーツ報知)
裏流行語はおもしろい。
今年の漢字の裏があるとすれば、不倫の倫だろう。
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