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2016年12月18日日曜日

【決断】楽天・栗原 東北での一年で芽生えた指導者の資質

◇決断2016ユニホームを脱いだ男たち=楽天・栗原健太内野手(34)

 すがすがしい笑顔だった。10月1日、コボスタ宮城で行われた引退会見。栗原はハキハキとした口調で引退理由を口にした。

 「今年一年が勝負という気持ちでやってきた。1軍の戦力になれず、この辺が引き際かなと思った。自分の思うようなバッティングができなくなった」

 99年ドラフト3位で広島に入団すると、球界を代表するスラッガーへと成長。09年には2連覇を達成した第2回WBCの日本代表メンバーにも名を連ねた。しかし、チームの勝利を最優先に考え、慢性的な右肘痛を抱えながらプレーを続けたため、08、12、14年と3度の手術を余儀なくされた。ただ「一生懸命、試合や練習をした中でのケガ」と悔いはない。「手術を決断した時は“この手術で良くなる”と思ってやる。ダメだったとしても後悔しないと決断して手術に臨んだ」と覚悟の上だった。

 以降は度重なる違和感に苦しめられ、本来の打撃を取り戻すには至らなかった。14年から2年連続で1軍出場はなく、昨オフ、自由契約を申し入れ、今季から生まれ故郷・東北に新天地を求めた。だが、楽天でも1軍から声が掛かることはなく、ついにユニホームを脱いだ。

 選手としてもう一花咲かすことはできなかったが、この一年でコーチとしての資質は確実に芽生えた。球界屈指の長距離砲に上り詰めたのは、練習量の多さで知られる広島で育ったからこそ。楽天でも2軍の泉練習場の室内で早朝から電気もつけずバットを振り、球団職員を驚かせた。練習時間ぎりぎりまでグラウンドに姿を見せなかった若手選手に注意をしたこともある。「練習量や姿勢はカープのときと変わらずやってきた。そういうのは見せられた」と自負する。

 来季は2軍の打撃コーチに就任。11月上旬、岡山・倉敷での秋季キャンプでは早朝から日暮れまで若手選手に付きっきりで指導した。重視するのはコミュニケーション。「言ってやらせるのではなく、納得してやらせないと。感覚を押しつけるのではなく、その人の感覚になったつもりで見ている」。栄光も挫折も味わった自分だからできることがある。未来の和製大砲を育てるべく、第二の野球人生を歩みだした。 (徳原 麗奈)

 ◆栗原 健太(くりはら・けんた)1982年(昭57)1月8日、山形県生まれの34歳。日大山形では2年夏に甲子園出場。99年ドラフト3位で広島入団。11年にベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。15年に自ら自由契約を選択し、入団テストを経て今季から楽天に加入した。通算1026試合、打率・293、153本塁打、586打点。1メートル83、97キロ。右投げ右打ち。
(スポニチアネックス)

 第二の野球人生に幸あれ。

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