神奈川県厚木市のアパートで昨年5月、死後7年経った斎藤理玖(りく)君(死亡当時5)の白骨化遺体が見つかった事件の裁判員裁判で、横浜地裁は22日、殺人などの罪に問われた父親の斎藤幸裕被告(37)に対し、懲役19年(求刑懲役20年)の判決を言い渡した。伊名波宏仁裁判長は「長男の生命をあまりに軽視し、栄養失調死させた残酷さは想像を絶する」と述べた。
判決によると、被告は妻が家出した2004年10月から理玖君を1人で養育。トラック運転手として出勤する際は保育園などに預けず自宅に閉じ込めた。
その後、別の女性と交際を開始。電気、ガス、水道が止まったアパートに行って理玖君の面倒を見るのが嫌になり、食事や飲み物を与える回数が減った。
低栄養状態が続き、理玖君の関節が曲がって固まる症状が見られた06年12月中旬以降も、十分な食事を与えたり適切な医療を受けさせたりせずに放置。翌年1月中旬ごろに栄養失調で死亡させた。
コンビニで買ったパン一つ、おにぎり一つ、ペットボトルの飲料1本をかつては1日2回与えていたが、亡くなる直前には2~3日に1回あるいは週1回ぐらいしか与えていなかった。
弁護側は公判で殺意はなかったと主張したが、判決は「相当衰弱した状態を認識しており、医師による適切な処置を受けさせなければ死亡する可能性が高いことを認識していたのは明らか」と殺人罪の成立を認めた。伊名波裁判長は「唯一すがるべき存在だった父親から十分な食事も与えられず、ゴミに埋もれた不快で異常な環境に放置され、極度の空腹による苦痛を感じ、絶命していった。涙を禁じ得ない」と述べた。
判決は、被告が理玖君の死亡を勤務先に届けず、家族手当41万円をだまし取った詐欺の罪も認定した。
■周囲に相談の形跡なし
「育児がどういうものかわかりません。戸惑いながら自分なりに」「(保育園を)考えたんですが仕事の時間帯があり、送り迎えができない」。斎藤被告は公判で、育児放棄に至る過程を語った。
被告の妻が家出する直前の04年10月。午前4時半ごろに自宅近くの路上で、Tシャツにおむつ姿で震えている理玖君を通行人が発見。警察から連絡を受けた厚木児童相談所が一時保護した。
理玖君は当時3歳。「耳の裏や中の汚れが目立ち、ママ……と繰り返すだけで発語で理解できるものはない」。法廷で開示された児相の報告書の内容だ。
だが児相は「迷子」と判断。迎えに来た妻に理玖君を引き渡した。翌月の3歳半健診に理玖君は来なかったが、児相側が家庭訪問をすることはなかった。
児相職員は法廷で「虐待のリスクに敏感な現在なら虐待として扱っていたが、当時は迷子のケースだった」と証言。深刻な虐待事例を多く抱え、手が回らなかったと説明した。
(朝日新聞デジタル)
父親に反省の態度がないのはなぜだろう。
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