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2015年10月25日日曜日

鵜久森淳志 亡き恩師との約束― 日ハム戦力外の甲子園Vスラッガーがトライアウトへ

「プロ野球で15年はやれ」―今も鵜久森の胸に残る上甲監督の言葉
 プロ野球の世界に飛び込む選手がいれば、去る選手もいる―。日本ハムから戦力外通告を受けた鵜久森淳志外野手も、その1人だ。

 愛媛・済美高では通算47本塁打の超高校級スラッガーとして、3年春夏の甲子園に出場。選抜は2本塁打で初出場初優勝を果たし、夏も3本塁打で初出場準Vに貢献した。同年ドラフト8巡目で日本ハム入りしたものの、ここまでプロ11年で通算6本塁打。2日に戦力外通告を受けた。

 鵜久森は11月10日の12球団トライアウト(静岡・草薙)を受ける。千葉・鎌ヶ谷市内の鎌ヶ谷スタジアムで練習を続けている“未完の大器”を直撃すると、済美高時代の恩師・上甲正典監督(享年67)との“約束”があった。

――上甲監督のもとでスラッガーとして甲子園を沸かせた。

「(上甲監督からは)『プロの世界では人の2倍とは言わないから、1・5倍の練習はやれ』と言われていました。亡くなられる前の13年オフまで、毎年、あいさつに行く度に言われてました。その言葉はずっと残っています。あとは『15年はやれ。長くプロ野球でお世話になれ』と。その2つです。監督はいつも自慢げに言ってました。自分はあと4年ですね」

――なぜ15年だったか?

「(上甲監督が監督を務めた)宇和島東卒業のプロ野球選手は15年以上やっている人が多いからだと思います。岩村(明憲)さんは18年、宮出(隆自)さん、橋本(将)さんは17年。平井(正史)さんが1番長くて21年。よく先輩方と比較されました。監督からは『おまえだけや、活躍してないのは』と。

 大した成績を残せていなかったですし、年末にあいさつに行くのが、いつも嫌でしたね。安楽(智大、現・楽天)もプロで20年と言ってますよね。あれはそういう意味があると思います。監督の下でやった人はみんな長い。だから、(上甲監督の教え子は)みんな目標になっているんだと」

――亡くなられてからは?

「(お墓参りに)まだ行けてないんです。行きたいですけど…。どういう報告になるかは分かりませんが、ここまでプレー出来たのは監督がいたから。本当に感謝してます。その言葉しかありません」
自分の生きる道とは? 「次にいけるとしたら長打力を買ってくれる球団」
――今秋に戦力外通告を受けたが、大谷、有原らとの秋季練習に参加している。

「最初は1人でやる予定だったんですけど、全体練習に入れてもらっている。他球団に入団できるかは自分でコントロール出来るところではない。自分のコントロール出来ることを精いっぱいやろうと思う」

――打撃練習も出来ている。

「練習でもマシンを打つのと、人に投げてもらうのは違う。(自主トレ中の)石井(裕也)さんや(飯山)裕志さんに『オレが投げようか?』と言ってくれる。(左腕の)厚沢さん(ベンチコーチ)は『右打者だから、左を打った方がいいでしょ』と言って投げてくれる。自分は首になった人間ですよ! 全体練習に入れてくれることも、他球団でもないと思う。ノックと言っても、誰かに打ってもらわないと出来ない。感謝しきれないです。言葉では感謝としか表現できないですけど」

――野球への取り組みは変わったか?

「今までは環境が当たり前と思っていたけど、この環境でやらせてもらうのはすごい幸せと感じます。今までも感謝ですけど、快くやってくれるのはうれしいです。感謝しきれないですね」

――プロ通算6本塁打だが、持ち味は長打力か?

「そうですね。ただ、難しいんですけどね。(代打の)打席数が少ない中では、結局、打率を求めてしまう。ただ、代打でも本塁打を打てる打者は少ないと思う。次にいけるとしたら長打力を買ってくれる球団だと思う。そういうのは大事にしたい。自分の生きる道として」

「独立リーグも海外も考えてない。プロ野球でダメだったら…」
――戦力外通告でリセットしてプレースタイルを再認識したところはあるか?

「悩みましたけどね。もちろんミート力も大事なこと。(代打で活躍する)矢野謙次さんや二岡智宏さんもミート力が高い。代打と考えた時に、ミート力も大事。(9月に)矢野さんは芯に当たれば打球は飛ぶと言っていたし、実際に打撃練習を見ていても、ガンと振らずに芯に当てる打撃を繰り返している。

 二岡さんもガンと振らずに右翼へのライナーが多かった。そこは求めて行きつつ、自分はパワーを磨いていきたい。なかなか本塁打は打てるものではないですけど、プロのボールに力負けしないように。今は打撃練習とウエートトレーニングを重点においてやっています」

――筋力トレーニング?

「僕はウエートでパワーを付けたので。高校時代はチーム方針で鍛えていたんですけど、高校1年生の時は体がヒョロヒョロで、ベンチプレスも45キロがマックス。上甲監督からも『情けないな』と言われ続けて…。それが、高校3年生の時に105キロまで上がったんです。

 そういう意味では自分は体の力が付いて、打球が飛ぶようになったと思っている。あれから10年以上経ちましたけど、もう1度、原点に返ってパワーを。ただ、技術は今年以上にやらないと、たとえ他球団が取ってくれたとしても来年も厳しくなる。同じようにやってはいけない」

――来春に3歳の双子の女児が幼稚園に進学する。10月1日が愛娘たちの誕生日だった。

「こればかりは仕方ないこと。覚悟はしてましたし、たまたま誕生日だっただけ。幼稚園の願書も父親の職業欄になんて書いたらいいのか。11月30日は日本ハムでいいみたいですけど。クビになると、いろんな面で大変ですね」

――仮にトライアウトでも声がかからなかったら?

「独立リーグも海外も考えてないです。プロ野球でダメだったら、野球を辞めようと思っています。子どももいるので、家も買わないと。このままでは家のローンも組めないですよね? 手に職ですか? 自分持ってないんですよ。済美もスポーツ科でしたから。『なにか資格とっておけば…』とつくづく思いますね。(他球団へいけるかは)あとは縁ですね。トライアウトがあるので、先があると思って頑張ります」

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

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