西武の秋山翔吾外野手(27)が、オリックス戦で5安打してシーズン214安打とし、10年にマートン(阪神)が作ったプロ野球最多記録に並んだ。209安打で臨んだ試合で、1回に二塁打してマーリンズのイチローがオリックス時代の1994年にマークした日本選手最多記録に並ぶと、2回に三塁打して更新。その後も安打を量産し、8回の二塁打で歴史に名を刻んだ。西武は残り1試合で、秋山は1日の今季最終戦で新記録に挑む。
偉大すぎる先人を超え、秋山が一気に日本記録に肩を並べた。5点リードの8回2死二塁。小松の内角直球を右翼線へ適時二塁打。マートンの日本記録に並んだ。「こんなに打てるとか思わなかった。本当に光栄なこと。偉大な先輩方の上に自分の名前があるなんて光栄だけど、信じられない気持ちの方が大きい」。敵地はどよめき、歓声の後、温かい拍手に包まれた。
試合前まで209安打。記録へは残り2戦5安打が必要だったが、プロ5年目で初の5安打で歴史に名を刻んだ。初回先頭の二塁打で94年イチローに並ぶと、2回2死二、三塁では、東明の130キロのフォークに食らいつく2点三塁打で日本人最多を更新。「イチローさんは130試合。比較の対象にはならないと思っています」と恐縮したが、5回には二塁打で今季27度目の猛打賞を決め、10年西岡(ロッテ)に並んで歴代トップに浮上。7回には再び左前打し、8回に偉業を達成した。
夢を正夢にかえた。イチローが当時の日本記録を樹立した年に神奈川・横須賀市の大津幼稚園に通っていた秋山少年に夢ができた。95年の卒園文集にこう記した。「やきゅうせんしゅになりたいです。 いちろうみたいに ひっとうちたいです」―。
2歳から野球を始めた秋山。「当時はもう社会現象でしたからね」。同じ右投左打のヒーロー。気付けば純粋にただ天才打者の名前を書いていたという。小学校卒業文集のタイトルは「プロ野球選手を目指して」。すでに目標は明確になっていた。6歳だったあの時から20年後、もうひとつの夢「昆虫博士」はあきらめたが、不断の努力で「いちろう」を抜いた。
今月に入り試合前まで月間打率は2割5分。200安打を意識し、今季初めてのスランプだった。「打っている時期は勝手に体が反応している状態だった。今は違う…」。打席の分析、ウェート、一番最後に西武プリンスドームを後にすることが当たり前になった。
先週から打席での立ち位置を5センチベースから離しタイミングを早めに取った。あらゆる球に対応しようと外角球を追いすぎていたが「景色が少し変わった」と自分を取り戻した。28日のロッテ戦では4打数1安打だったが、三振以外は逆方向へ打球を飛ばし「思ったところに打てている」と手応えをつかみ、この日は5安打2四球で全7打席で出塁した。残りは1試合、日本新まで1安打。今の秋山ならきっと、歴史を塗り替える。(岸 慎也)
◆秋山 翔吾(あきやま・しょうご)1988年4月16日、神奈川県横須賀市生まれ。27歳。横浜創学館高では甲子園出場なし。八戸大に進み10年ドラフト3位で西武入団。1年目に「9番右翼」で開幕スタメン出場。12、13年には侍ジャパンに選出された。13年、ゴールデン・グラブ受賞。183センチ、85キロ。右投左打。家族は妻と1男。年俸6200万円。
(スポーツ報知)
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