興毅氏の電撃引退から2週間余り。亀田家次男にも衝撃の事実が発覚した。
関係者によると、大毅は昨年6月のメキシコ合宿でのスパーリング後、左目の視野が真っ暗になり緊急帰国。病院で左目網膜剥離と診断された。医師からは、失明しなかったことが最高の結果と言われて引退勧告もされたが、諦められず、計3度の手術を経てリングに復帰。だが、再起戦は無念の判定負けとなった。現状のままボクシングを続けることが危険と判断し「これで終わるのは悔しいけど、右目だけでできる甘い世界じゃない」と引退を決意した。
波乱に満ちたボクシング人生だった。07年の内藤大助戦で反則行為をして敗れ、1年間のボクサーライセンス停止処分を科され批判も浴びた。ただ、派手なパフォーマンスとは裏腹に興毅氏が「常に周りを気にしている」と明かすほど、繊細な心の持ち主。社会問題化した試合で消沈し、包丁で自殺も考えたというほど追い込まれた。
13年9月にIBFスーパーフライ級王者となり、初防衛戦となった同年12月のIBF・WBA団体統一戦で1―2の判定負け。敗れながらIBF王座を保持した問題で物議を醸し、3兄弟が国内で戦えない状況に陥った。都内に新しく開いたばかりのジムの経営にも影響が及び、責任を感じる大毅は「みんなに迷惑をかけた。結果で恩返ししたかったけど、その前に引退になって申し訳ない」と唇をかんだ。
父・史郎氏の指導で拳を磨き「浪速の弁慶」の愛称らしく、頑丈さを売りに世界2階級制覇。練習嫌いで殻を破れずにいたが、13年の騒動後はボクシングに真摯(しんし)に向き合い、練習では見違えるほどに成長。しかし、世界挑戦の合意間近の時期に網膜剥離が発覚し、世界再奪取の計画は暗転した。術後の視力は右1・0に対し、左0・1。最後となった9月の試合でも勝てば現役続行を希望していただけに興毅氏は「逆に俺は負けて良かったと思っている。続けてたら失明していた」と兄としての心境を打ち明けた。
(スポニチアネックス)
失明の危険があったのか。
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