底知れぬ能力を世界の舞台で発揮し、韓国打線をねじ伏せた。大谷の剛速球にどよめきがわき起こった。初回2死。金賢洙への2球目内角低めのボール球が自己最速163キロにあと2キロと迫る161キロを計測。「最初から飛ばすつもりだった」という言葉通りの1球を見せると最後は空振り三振。ベンチに戻る時にはグラウンドに落ちていたゴミを拾う余裕もあった。
2回以降も160キロ超を2球計測した直球と、140キロ台後半の高速フォークを軸に快投。韓国が誇る2枚看板の日本シリーズMVP・李大浩、2年連続50本塁打の朴炳鎬も計4打数1安打に抑え、6回2安打無失点10Kで代表初勝利を挙げた。
唯一のピンチの5回無死一、二塁では「3三振取れればいい」と開き直り、3連続三振に斬り、雄たけびを上げた。相手先発・金広鉉は2回の同場面で2失点。同じエースでも格の違いを見せた。
3日の壮行会で小久保監督から正式に開幕投手を通達された瞬間から、決戦に向けて準備を整えた。当日の夜は侍ジャパンに選出された日本ハムの選手は食事会を開いたが大谷は欠席。誰もいないウェートルームで約2時間汗を流した。「(試合前日の)夜は暇だったので試合のこと考えたら緊張した」と明かしたが、試合後は「ほっとしました」と安どした。
世界一をかけた激闘は、今でも記憶に刻まれている。09年WBC決勝の韓国戦。当時15歳だった大谷少年は、家族とともにテレビ画面にくぎ付けになった。「昔から野球を見たりするのは好きじゃない」と話しているが、06年のWBCでは敗北しマウンドに国旗を立てられ、09年も1次ラウンドで完封負けを許した因縁の相手との戦いは別だった。イチローの決勝打が飛び出した瞬間は、家族とともに大興奮した。
あれから6年ぶりの日韓戦。今度は高卒3年目でリーグ3冠に輝いた大谷が宿敵を黙らせ、日本のプロ選手が参加してからの日韓戦通算成績で12勝11敗と勝ち越した。
次回は中7日で準々決勝、中4日で決勝に先発するプランもある。9日に空路で移動し戦いの場所は台湾だ。「世界一しか見えていない」。球界の至宝が、その道を切り開いた。(後藤 亮太)
(スポーツ報知)
大谷の好投はお見事。
0 件のコメント:
コメントを投稿