安倍晋三政権によって、憲法の原則の一つである戦後日本の「平和主義」が、骨抜きにされつつある。
首相は第2次政権発足後、わずか2年余りの間に、国家安全保障会議(NSC)の創設、特定秘密保護法の制定、武器禁輸政策の転換などを強引に進めてきた。
そして、集団的自衛権の行使を含む安全保障法制の整備をこの夏までに終えようとしている。日本が世界の紛争や戦争に加担する恐れが一気に強まる。
<目に余る国民軽視>
まず、問題なのは首相の政治手法だ。憲法との整合性に関する論議は脇に置き、国民の懸念や批判は意に介しない。
安保関連法案が国会に提出されていないのに、首相は先日の米連邦議会での演説で「この夏までに必ず実現する」と、一方的に国際公約にしてしまった。
このようなやり方は今回が初めてではない。集団的自衛権の行使容認を閣議決定する前の昨年春にも同じことがあった。
行使容認について国民に詳しく説明していない段階である。日米首脳会談ではオバマ米大統領から支持を取り付けたと表明。続く欧州歴訪でも北大西洋条約機構(NATO)の理事会で演説し、理解が得られたと語った。
既定路線であるかのように海外で語り、既成事実化を進める。新たな安保法制も国会審議が始まれば、数の力で押し切るかもしれない。首相自身が重視する政治テーマは国民からすべて信任されていると言わんばかりの姿勢だ。国会と国民をあまりにないがしろにしていないか。
さらに問題なのは、憲法解釈を変えたり、下位の法律を駆使したりして憲法を空洞化させていることだ。事実上の改憲が始まっていることを意味する。
集団的自衛権の行使容認では憲法に照らして歴代政権が禁じてきたのに、都合よく変えた。秘密法は憲法が保障する国民の「知る権利」を狭める。新たな安保法制は9条を形骸化させる恐れが拭えない。平和主義、基本的人権の尊重、国民主権。憲法の基本原則が掘り崩される懸念が募る。
その原動力の一つとなっているのが安倍首相の国家観や政治信条である。「強い日本を取り戻す」「美しい日本」「誇りある国」などと国家を強調し、国民の感情に訴える言葉も多用する。
<国家重視が鮮明に>
首相の目的ははっきりしている。「戦後レジーム(体制)からの脱却」だ。首相にとって戦後体制の象徴が現憲法である。「現行憲法は占領時代につくられた仕組みだ。真の独立を取り戻すため、私たち自身で基本的な枠組みを作り直す必要がある」。2年前の国会答弁でこう語っている。
日本は「真の独立」を果たしておらず、自主憲法を制定してこそ独立が達成できる、との認識を持っているようだ。とりわけ、軍隊を持たないとした9条は邪魔と考えているのではないか。
安倍政権は実質改憲を進める一方で、明文改憲への環境整備も着々と進めている。自民党は今のところ、来年夏の参院選に勝利し、17年の通常国会で憲法改定を発議して国民投票を行うスケジュールを描いているとされる。
自民の憲法改正推進本部は3年前に改憲草案を決定した。今後、項目の絞り込みを本格化させる構えを見せている。
草案の中でも、9条への国防軍創設の明記や、有事の際に首相の権限を強化し国民の権利を制限することができる緊急事態条項の新設などを、改憲の重要項目に位置付けている。
中でも見過ごせないのは、基本的人権は「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」と規定した97条を草案が削除したことだ。基本的人権は人類の長年にわたる自由獲得の努力の成果であり、世界史にかんがみて普遍的なものだとする内容だ。現行憲法の柱の一つといえる。
97条の削除は安倍政権が目指す改憲の本質を示しているのではないか。国民より国家のため、との思惑が透けて見える。草案通りの改憲が行われれば、国による統制色が濃くなる。国家が上で、国民が下。関係の逆転が起きる恐れが否定できない。
戦後70年、辛うじて守ってきた平和国家の歩みを捨てる理由があるのだろうか。個人の権利や自由が脅かされるかもしれないのに黙っていてもいいのだろうか。
<掘り崩しを拒む>
私たちの社会や暮らしのありようまでもが分岐点を迎えている現実を見据えねばなるまい。日本の針路を安倍首相任せにしておくわけにはいかない。
施行から68年を迎える憲法は空文化の危機にある。国民の声を置き去りに整備が進められる安保法制を軸に、3回続きで改憲をめぐる問題点を掘り下げる。
(信濃毎日新聞)
国民の過半数が、この社説に賛成なのでしょうか。
もちろん平和が何よりですが、テロ集団や仮想敵国に対して、有事の場合の法整備が必要な時期が来ているのでしょう。
今のまま、自衛隊が何も出来ないと、逆に個人の自由や権利が脅かされる事態となりかねない。
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