東日本最古級とされる三世紀初頭の沼津市東熊堂(ひがしくまんどう)の高尾山古墳が、都市計画道路建設の途中に見つかった問題について、沼津市は二十五日、古墳を残して迂回(うかい)するような対策は行わず、計画通りに道路を整備する方針を市議会委員会に報告した。昨夏から中断している古墳の発掘調査を今年中に再開し、更地にした後に道路工事を行う予定。一般社団法人・日本考古学協会(東京)が古墳の保存を求めてきたが、市は全面保存を拒む結論を出した。
高尾山古墳は、前後に方形(台形)を重ねた前方後方墳。土を盛った「墳丘」と、墳丘を取り巻く「周溝」の二つの部分がある。もともと二つの神社があった高台で、古墳とみられていた。神社は移転し、市教委が二〇〇八~〇九年に行った発掘調査で、古墳の年代などが分かった。
市教委によると、墳丘を削るような形で、幅二十五メートルの道路を建設する。二年間の発掘調査で、墳丘や周溝を掘り起こし、土器を取り出して丘を削り、更地にする。市教委の話では、市は古墳を避けるように道路を建設する方法を検討したが、昨年十二月に「古墳を保存して道路を建設することは道路の構造上難しい」と判断した。
古墳が取り壊される恐れに対し、日本考古学協会は一二年、文化庁に工事の見直しを要望。二十五日には都内で会見を開き、道路建設工事の見直しと古墳の保存を求める高倉洋彰(ひろあき)会長の声明を発表した。声明は、高尾山古墳が三世紀では国内屈指の大きさで、多様な副葬品が出土したことを挙げ、古墳の主は「近畿の最初期古墳と肩を並べる駿河の最有力首長と考えられる」と発表。「日本列島の古墳文化を解明する上できわめて重要」と結論づけた。
協会の篠原和大(かずひろ)理事(静岡大人文社会科学部教授)によると、高尾山古墳は、東日本では国指定史跡の弘法山古墳(長野県松本市)と並ぶ大きさ。「弘法山古墳と同じくらい歴史的価値がある」と指摘した。
こうした古墳保存を求める声に対し、沼津市は「周溝の一部を道路下に残す」としている。
協会は「全面保存を求めてきただけに、市の判断は極めて残念だ」と書面でコメントを出した。
(山下葉月)
<高尾山古墳> 長さ62メートル、幅最大34メートルの前方後方墳。沼津市教委の発掘調査で、230年ごろの土器が出土した。2014年夏までの追加調査で「230年ごろに古墳が築造され、250年ごろに当時の有力者が埋葬された」と年代を特定。邪馬台国の女王卑弥呼の墓とされる箸墓古墳(奈良県桜井市)の築造時期(250年ごろ)とほぼ同時期。
(中日新聞)
沼津市のおバカな判断に呆れる。
本当に歴史的に貴重な古墳を潰して、道路を作るのだろうか。
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