1990年代中盤、「常勝」と呼ばれた西武黄金期の投手が衰えていくなか、彗星のごとく現れて、チームのエースにまで登り詰める。ストレートと何種類もある鋭いスライダーのコンビネーション、インステップから投げ込まれる独特な角度、細身の体ながらも無尽蔵なスタミナ、ゴールデングラブ賞を3度受賞したフィールディング……などを武器に7年連続2ケタ勝利を挙げた。
現役選手の中で通算200勝の期待がもっとも高い投手だったものの、あと18勝から白星を積み上げることはできなかった。この引退の報道には多くの野球ファンが悲しんだに違いない。躍動した背番号13のプロ野球生活を振り返る。
◎リーグ連覇に大きく貢献
県和歌山商高時代は無名だった西口は高校卒業後、立正大に進学。大学3年秋には東都大学リーグ2部で優勝し1部昇格を果たすも、翌春には1部最下位となり再び2部に降格。大学最後のシーズンとなった4年秋は2部優勝、入替戦にも勝利して、1部再昇格を置き土産にした。このようにほとんどを2部でのプレーだったものの、1994年のドラフト会議で西武から3位で指名を受ける。
プロ2年目の1996年、16勝を挙げて頭角を現す。さらに翌1997年は15勝5敗、192奪三振の活躍で最多勝、最多奪三振、沢村賞、リーグMVPなどとタイトルを総ナメ。続く1998年も13勝を挙げて、チームのリーグ連覇に大きく貢献する。この活躍で西口は「西武のエース」と認められるようになった。1999年には大物ルーキー・松坂大輔(現ソフトバンク)が加入すると先発の両輪として西武投手陣を支える。2002年は15勝を挙げると同時に、7年連続2ケタ勝利とエースに相応しい成績を収めてきた。
◎「悲劇のピッチャー」という一面
西武のエースとして華々しい活躍を見せる一方、過去3度も偉業達成を目前にしながら、あと一歩のところで逃してきた「悲劇のピッチャー」という一面もあった。
最初の出来事は2002年8月26日のロッテ戦。9回2死までノーヒットノーランを続けてきた西口だったが、小坂誠に中前安打を打たれ大記録を逃す。
続いて2005年5月13日の巨人戦では、前回のロッテ戦同様、9回2死までノーヒットノーランを継続。「今度こそ達成か!?」と思われたなか、清水隆行に本塁打を打たれてしまう。
西口の悲劇はまだ続いた。巨人戦の“ノーヒットノーラン未遂”から約3カ月半後、8月27日の楽天戦ではピッチングが冴え渡り、9回まで打者27人をパーフェクトに抑え込む。完全試合達成かと思いきや、打線が一場靖弘を前に無得点で、試合は0対0のまま延長戦に突入。延長10回、沖原佳典に完全試合という大記録達成を阻まれたものの、その裏に石井義人のサヨナラタイムリーで勝った。
◎2011年シーズン終盤に見せた「ベテランの意地」
先発投手陣の柱として活躍してきた西口だったが、2009年は4勝、2010年は3勝と不本意な成績が続き「西口はもう終わったのではないか」という声も聞こえるようになった。
2011年も前半戦を終えて4勝6敗と芳しくない成績だった。しかし、後半戦に入ると西口は全盛期を彷彿とさせるピッチングを見せていく。7月30日のオリックス戦で勝利すると、そこから6連勝と白星を重ね、特に8月28日の日本ハム戦では、10奪三振で6年ぶりの完封勝利(103試合ぶりの完投は当時日本記録)を挙げた。
最下位に沈んでいたチームも西口のピッチングとシンクロするように順位が上がっていった。そして、シーズン最終戦となった10月18日の日本ハム戦。クライマックスシリーズ進出のためには勝利が絶対条件となる一戦で8回2失点、11奪三振の好投で勝利投手に。3位争いをしていたオリックスが敗れたことで、僅かな勝率の差でシーズン3位が確定し、CS進出が決まった。
西口はこの年、チームトップの11勝で、2005年以来の2ケタ勝利をマーク。防御率2.57は、50イニング以上投げたシーズンでは一番低い数字だった。この年のクライマックスシリーズでは勝利投手にもなり、10試合目の登板でポストシーズン初勝利を記録(日本シリーズでは一つも勝てなかった)し、39歳で見事な復活を遂げた。
しかし、その後は2012年に5勝したのみで、ここ3年は未勝利。昨季は1軍で一度も先発がなく、今季は先発1試合の登板だけだった。年間を通じて1軍で活躍できないことが引退を決断した最大の理由だという。
9月28日の本拠地最終戦、4回2死からマウンドに上がるも四球。試合も敗れてしまい、ロッテとの3位争いは0.5ゲーム差に縮まり、「悲劇のピッチャー」らしい現役生活の幕の閉じ方になってしまった。それでも、西武ファンだけでなく、多くのロッテファンも残った引退セレモニーでは多くの先輩・後輩からコメント、ビデオレターが届いた。これもまた西口の人徳がなせる業だろう。
“ラストピッチ”を行い、マウンドに青いグラブを置き、グラウンドを去っていった西口。そのグラブを大事に抱えてビクトリーロードを登っていったのは高橋光成。未来のライオンズのエースという大役を託し、引退セレモニーは終わった。「ライオンズ・クラシック」と打ち、過去・現在・未来をつないできた西武らしい演出だといえる。西口文也は今季で引退となってしまうが、プロ野球はこれからも続いていく。(『週刊野球太郎』編集部)
(スポニチアネックス)
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